その日、小太郎さんとは湯島天神境内で待ち合わせ。落語のネタで湯島天神と言えば「初天神」。天神さんへお参りに行こうとする父親(おとっつあん)と、大人びて、こまっしゃくれた息子・金坊(きんぼう)の噺です。
取材班が着くと、すでに待っていらっしゃった小太郎さん。風貌やお名前こそ、どちらかと言えば金坊っぽいわけですが、インタビューしてみると…相当な大人(渋いし、超真面目で頑固)。大好きなプロレス風に言えばストロングスタイルといったところでしょうか。(小さいのは名前だけだな)と取材班が確信したのは、それから2時間後のことでした。
ときに。くがらく取材史上、もっともインタビュー時間が短かかったのに(約2時間)。まずい部分は原稿チェック段階で、ばっさばっさとご本人にカットされたのに。それなのに結果的にページ数(原稿量として)は過去最多級だという。世にも奇妙なインタビュー。これも妖怪好きな小太郎さんの成せる業なのか…。それでは、インタビュースタートです。
生まれて初めて寄席に行ったら、偶然、(柳家)さん喬が出てまして。
― 小太郎さんが落語家になろうと思った、きっかけを教えてください。いつ頃のことでしょうか。
落語家になろうと思って師匠を探した経験がなくてですね、特になりたかったわけでもなく。偶然、生まれて初めて寄席に行ったら、(柳家)さん喬が出てまして。面白くて。「じゃ、二度目も(さん喬を)観に行くか」と思って、また見に行って。二度目も面白かったので、「そうだ弟子になってみよう」。それだけなんです。師匠選びとかも、したことないんです。二度目に見に行った時には、もう弟子入りなんですよ。大学時代も落語なんて、一回も聴いたことなかったです。ほんと、落語のこと全く知らなかったんです。「笑点」のメンバーも言えない位でしたから、弟子に入った頃。
― さん喬師匠を二回見て、それでもう、出待ちしたという感じですか?
そうです。二回目でもう出待ちして。ただ、そこで断られて、そこから何回か弟子入り志願して、ようやく。って感じですね。
- 何べんくらい通ったんですか?
4ヶ月くらい通い続けました。もちろん毎日ではないですけど。師匠が旅に出ている期間もあったので、合間合間に。その間、自分はフリーターでしたから。やることも特にないので「弟子になるぞ!」って。ただ、それだけみたいな。
― 大学卒業後のことですか?
いやもう(卒業後)3、4年経っていたんじゃないでしょうかね。(卒業しても)働きたくないなぁと思ってまして(苦笑)。
― 就職していたわけではないんですね
いや、まったく、まったく。とにかく、いろいろなバイト、バイトで暮らしていました。
― さん喬師匠を最初にご覧になった寄席は?
池袋(演芸場)です。家が近所なんです。
― 落語にまったく興味もなかったのに、なぜ思い立って行ってみようと思ったのですか?
これがですね、友だちで落語好きなのがいまして。飲んでる時、よく落語の話になるんです。そういう話を聞かされているうちに、だんだん興味が湧いてきまして。寄席っていうものさえ知らなかったんですけど、その友だちに「これこれ、こういうところでやってるよ」って聞きまして。聞いたら、家の近所じゃないですか。当時、それだけのとても気軽な気持ちでした。まさか、噺家になって、こうやってインタビューを受けるとは夢にも思いませんでした。
忘れもしません、昼席です。あそこは昼夜の入れ替えがないので、夜までずーっと見てまして、一日中見てたんですけどね。カルチャーショックを受けました。寄席の世界に。
たくさんの演者さんを見たわけですが、私の中では、ずば抜けてうちの師匠が面白かったんですよね。「なんだ、この人は。もう一回見に行ってみよう」って思いました。で、二度目はさん喬を狙って(師匠が出ているのを確かめてから)寄席に行きました。で、二度目も面白かったので弟子になってみようと。だから(私が)さん喬を選んだって感じではないんですよね。「みっけた!」って感じ。地図上の発見(笑)、みたいな。
― 弟子入りのときのお話を。
池袋(演芸場)は、楽屋口とお客さんが一服するロビーが一緒なんですよね。だから、そこで待ってれば、必ず師匠に会えるだろうと。待っている間、前座さんとか出番を終えた二つ目さんの人とか、今の自分たちもそうですがなんとかく、ぺこって挨拶くらいはするじゃないですか、そこに人がいれば。なので、私も話しかけられたりしました。「出待ち?ならこっちがいいよ、こっから出て来るし」「まだ楽屋にいるよ」なんて教えてもらったりして。
― 第一声は、なんと話掛けたんですか?
最初はドキドキして声が掛けられませんでした。あそこ(池袋演芸場)ってエレベーターで移動するんですよね、地下に。だから師匠が出て来て、携帯かなんか弄りながら、すーっと乗り込みに行っちゃったんですよね。「これはまずい」と思って、エレベーターに一緒に乗りこんで密室にしたんです。こうすれば断れまいと思って。そして、いきなり「弟子にしてください」と言いました。
― そうしたら?
「いやちょっと…」と断られて(苦笑)。
― 「急に脅かすんじゃないよ!」の一言も、なかったんですか?
入った後(入門してから)言われましたけどね、「すごく変な奴が来た!」と思われたみたいで。(弟子入りの時は)暑かったので半ズボンでしたし、サンダル履きだったし、髭は生やしてましたし、手には麦わら帽子持ってましたし(笑)。弟子入りをお願いする人の恰好じゃないですよね(笑)
勝手に「自分が一番弟子だ」と思いこんでいたんです(笑)
(断られたのは恰好のせいだなって)って自分の中で理由を勝手に決めこんで。2回目は普通の格好をして行きました。スーツ姿ではないですが、割とちゃんとした格好で。それでもやっぱり断られて。
うちの師匠は親切なので、いろいろ教えてくれるんですよ。「この世界に入っても食えないよ」「もう前座さんを弟子に採っているから、君を採ることはできないよ」「他の人(噺家)を見た方がいいよ」とか、いろいろアドバイスしてくれまして。師匠としては体よく断りたかったんでしょうけど、こっちはもう(さん喬師匠が好きで好きで)メロメロですからね(笑)。(あ、口きいてくれた!しゃべってくれた!)って思ってうれしくなっちゃって。(アドバイスを聞いては)「そうっすね!(笑)」とか言いながら、また(弟子入り志願に)行く!みたいな。そんなことを繰り返していました。
― そうしたら師匠は根負けして?
そうです。「この日に一回来なさい」と言ってくださいまして。師匠がトリの回で、終わった後の打ち上げに誘ってくれまして。打ち上げの席で、一門の人たち、いわゆる兄弟弟子を紹介されたんですけど、私、誰一人として知らなくて(笑)。当時、インターネットなど自分でできませんでしたから、勝手に「自分が一番弟子だ」と思いこんでいたんです(笑)。
でも、それ(弟子がほかにもいること)を当然知ってるだろ?みたいな感じで言われたので、「すみません(知りません)」って言ったら、「あれ?(こいつなんなの?)」みたいな変な感じになっちゃないまして。「(そんなに何も知らないんだったら、落語家としてやっていくのは難しいから入門は)諦めなさい」というような話を。
でもですね、こっちは入門する気満々で行ってますし、みなさんの意見は、それは大事な話だろうからと思って、片っ端からメモを取ろうとするんですけど、登場する噺家の名前が全然わかんないんですよね(笑)。なので(話に出てくる噺家、有名な師匠たちの)名前を全部カタカナでメモを取っていたんですよ(笑)。サンキョウ、コタロウ、みたいに。
すると、ある兄弟子が、それに気づきましてね。全員に「みんな!見てくれ!こいつ、やべえぞ、落語のことをまったく知らねーぞ(笑)」みたいに、優しくいじり倒してくれまして。
(柳家)喬之助兄さん(※)!私、あのとき、本当に何にも知らなかったんですよ!!(笑)。
※ 柳家喬之助:兄弟子。さん喬一門、3番目の弟子。
チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。小太郎さんの素顔。そして本音。
柳家小太郎 独占インタビュー(1)