もがいている様を、生き様を、楽しんでください。

※愛:こみちさんの本名。

― こみちさんは本当にきれいに古典落語をお話しになります。また、今日お話を伺って、男性落語家と勝負したいって言う気概を強く感じました。

 今のように、大爆笑ギャグ落語が流行していく中で、本当に自分の生きていく“行く末”っていうものが難しいですよね。男性落語家と勝負!っていう時に、つい、“飛び道具”を出した方がよさそうだなって思うこともあるんですよね。(ここで、こみちさんが言っている “飛び道具”とは、白鳥師匠作の古典風新作とか、歌や踊りが入った噺などを指します)。

 今年(2015年)も初めて朝日名人会に出番をいただいて、やっぱり、飛び道具出しちゃいましたもん、私。絶対に、こけることはできないと思って。由緒正しい落語会って、女性(落語家)は出さないことが、ほとんどなんですよ。これまでの朝日名人会もそうでしたし、紀伊国屋落語会も。「落語研究会」だけは、ぼたん姉さんが前座の頃に突破口を開いてくださり、その後、ぼたん姉さんも、私も二つ目になってから高座に上げていただきました。いざ(出演の)お話をいただくと、どのネタで勝負しようか困ってしまって。なんせ出演者が、喬太郎師匠(柳家喬太郎)、扇辰師匠(入船亭扇辰)、白酒兄さん(桃月庵白酒)、一之輔兄さん(春風亭一之輔)、私ですから。

― いいじゃないですか。敵に不足なし。

 これでね、正攻法っていうか、お客さん絶対私のこと観に来てるわけないですけれど、絶対コケそうな気がして、“飛び道具”中の“飛び道具”を出したんですよ。

― 何を出したんですか?

 『植木のおばけ』っていう音曲噺(楽屋の三味線や鳴り物を伴奏に、歌がいっぱい入るネタのこと)なんです。ちょうど7月でしたし、他にやり手がほとんどいない珍しい部類の噺で。一朝師匠(春風亭一朝)、馬桜師匠(鈴々舎馬桜)が持ちネタにしているくらいではないでしょうか。私は一朝師匠から教わりまして、その噺をやりました。うれしいことに、また来年(2016年)も、出演依頼をいただいていて。トリが小三治ですから、前回よりは気負いなく高座を勤められるといいですが。歌や踊りが入るネタは会話だけで成立する噺より、ちょっとズルいなと自分で感じるときがあります。中手(拍手)が来やすいので。「(歌や踊りが入るネタでも)それでお客さんが喜ぶんだからいいじゃないか」って言う方もいますし、「歌えば拍手もらえると思ってるのか」という厳しい指摘を受けることもあります。私としては、噺の本筋だけで勝負できる噺家にならなきゃいけないと思っています。

― 『七段目』は、音曲噺とは違うのですか?

 『七段目』も楽しい噺ですが、歌は入っていません。踊りがたくさん入っている上方のカタチで私は覚えました。「七段目」自体はスタンダードな噺ですが(江戸のカタチではない)上方のカタチで覚えたので、私の中では“飛び道具”の部類です。

― こみちさん、『寝床』もお持ちでしたよね。あのネタも飛び道具カテゴリーですか?

 はい。持っています。ただ、あれは、そんなことはないですね。派手な噺ではありますけど。トリネタの噺でも、わかさなくちゃいけない時にやっています。筋を楽しもうっていうより、笑いをとろうという時にやるトリネタですよね。

― 自分に相当厳しい噺家さんですね、こみちさんは。

 食ってかなきゃいけないんで(笑)。旦那さんも(既出。漫才コンビ「宮田陽・昇」の昇さん)仕事していますけど、2人の子を養っていかないと。子どもは一人で精一杯だと思っていましたが、気がついたらお腹にいたんで(笑)、がんばらないと!

― 3人目、4人目の計画は?

 本当に(出産は)終わりです。私これまで、「二人目は?」って聞かれた時に「いや、二人目産んだら廃業しちゃうんで」って言ってたんですよ。それが(授かって)いたんで、「いたのかお前!」って感じです(笑)。前回よりも、ぎりぎりまで高座に上がって、今回もすぐ復帰するって感じですね。

― 正月二之席(にのせき。正月の11日― 20日に行なわれる興行のこと)から高座に復帰するそうですが、おからだは大丈夫なんですか?

 何があっても出ます!例え出産が遅れて年末になっちゃったとしても、出ます!なにがあっても。大体が1月13日にネタおろしの会があるんですもの(『第33回はなし亭 菊之丞・文菊・こみち勉強会』)。二之席の間に仕事が5本入ってます。

編集部注)インタビュー直後の、2015年12月16日、こみちさんは無事に第2子(男児)を出産。長男、次男、昇さん、こみちさんの4人家族になりました。おめでとうございます!

― たくましい!

 来週に入ったら産まないと(笑)。長男を産んだ時に思いましたけども、落語って自分の身体から匂い立つ何かが必要なんですよね。うちの師匠からは落語の香りをいつも感じられるんです。(うちの師匠は)生き方をずっと見せ続けてくれてるんですよ。例えば、化繊の着物を着ないとか、うちの中にもこだわった家具を揃えていたりとか。芸人として生きるってこういうことだとか、噺家ってこういうもんだとかを感じるんです。

 踊りの先生も芸人として、とても大好きです。いつでもそばにいたい人、江戸時代から抜け出てきたような女性なんですよ。家族とハワイ旅行だってのに、着物着て行っちゃうような女性(ひと)なんですよ。着物しか着ないんですから。普通にスイカ食べるんだって、うどんすするんだって、とにかく江戸の登場人物がそこにいるんですよね。古典を感じさせるっていうか、登場人物ってこんなだったんだろうな、って思わせてくれる方です

 長男を産んだ時に、落語の香りがもう、自分からどんどん抜けていってしまって。はっつあんや隠居さんや大家さんやおかみさんたちがちょっと遠い人たちになってしまったんですよ。傍観してる感じになっちゃったんですよね。これは恐ろしいと思って。もちろん、母親として妻としては、とって幸せなんですよ。子どもを抱けて。頭ん中がお花畑になっちゃって。乳を吸わせて、寝かせて、寝息を聴いて、泣き声も聴いて幸せなんです。ですけど、どんどん自分が(噺家ではない)乳臭い女になっちゃって、今まで噺家としてこうなりたいと思っていた自分が、一回そこで終わり、「はい、さようなら。今、あなたはお母さんです」と。それを感じたときの(噺家としての)恐怖。

 そこからまた噺家としての自分を取り戻すのにとてもブランクが空いてしまったんです。これは怖いことだなと感じたので、今回はあえてキャサリン妃(入院から約12時間、出産から約9時間半でスピード退院。英国では当たり前のことらしい)のように、すぐに人前に上がろうと思いまして。

 最後の方やっぱり、12月1日が今年(2015年)最後の高座だったんですけど、どうしたってバレるじゃないですか。お腹がぼてってしてますし。でもそれもね、なんとかネタにしようと思いましたけど、なるべく落語をやらなかった時間を短くすることに重きを置いてしまいましたねえ。11月の後半の高座でも、初めて私を見る人たちが、(わ、いきなり妊婦が出てきた!)みたいな。

― どういう噺家さんになりたいですか?

 大きく言うと3つあります。一つは古典落語を真っすぐやってお客様に聴いてもらえるという噺家。奇抜な何かをやることなく、まっすぐ古典をやってお客さんがちゃんとその噺の中に入ってくれて、(なるほど。こみちさん古典落語をやる時はこういう風にやるんだな)ってその情景も見えて、その登場人物としてお客様に見ていただけるという。もう一つは自分が生きていく上で、食べていくための切り札、さっきも言いました“飛び道具”的なネタをちゃんと持っていて、臨機応変に、そのカードを切れる噺家。三つ目は(男性がやると成立しない)女性にしかできない噺(古典風新作とか)を開拓していく噺家。この3つです。

 そして、ばあさんになっても寄席にいつも出ていたい。おばあさんになっても(あの人の噺聞きたいな。観たいな。この人いいよな)と思われたい。寄席では、周りの空気を乱さずに、私が出ることで、流れも良いままだし、変に流れを変えることなく、うまく前の空気をつなげていける噺家に。(寄席の出番の)初めに出ても真ん中でも終わりの方に出ても、(なんかこの人寄席に出続けて欲しいな)って思われたいんです。寄席に出てるっていうことは噺家として、一種のステイタスであり、とても大事なことだと思っていますので。

― こみちさんの持ち味・強みってなんだと自分でお思いになりますか?

 男っぽくて、(女性落語家と言っても)そんなに女性らしくないところでしょうか。普通のおばちゃんだってところが私の強みかもしれません。単純に言って世の中、女性が半分。女の方ってとても鋭くて、嗅覚が働いて、(あ、あの人のこういうとこ好きじゃないな)と思ったら、寄ってきてくれない、落語会にも来てくれないと思うんです。「こみちの落語会には男性ばかり、女性がいない」なんてことになってしまったら、だんだん私の芸もヘンテコになっていくと思うんですよね。

 女優さんみたいな美人が高座に上がるんじゃなくて、普通のおばちゃんが高座に上がって、(自然体なんだけどもステキよね、また観たくなっちゃうわ)と思われたい。そうありたいです。こんなこと、こんな風に言っちゃうと何ですけれども。私の踊りの先生がそうなんです。スタイルが良いとは言えない。顔も普通。でも、すごく引き込まれてしまう。こんな風な芸人、噺家になれたら、素晴らしいなと思っています。

― どういう理由で引きこまれるんでしょうね、そういう人って。

 それまでに培ってきた芸ですよね。本当に隙のない、瞬きまでも計算してると思うような。恐らく、計算してるんでしょう。どこのところを、どう切り取っても、どの瞬間も見ていたくなっちゃうんです、先生。私の長唄の先生もそうなんですよね。顔を見てるだけで興味深いというか、そういう芸の先人というか熟練した先にある人はなんとも言えない味わいと魅力を持ってるんですよね。私も、そうなりたいと思っています。

― お子さんが将来、噺家さん、漫才師、芸の道に進みたいと言ったらどうしますか?

 昇さんはコンビものは勧めないと言ってます(笑)。やっぱり2人ともに健康じゃなきゃ、活動していけないじゃないですか。だから私、陽さん(旦那さんの相方)の健康と長寿を常に祈っているんです。どっちかが倒れたら、やっていけない(やっていくのは難しい)ですから。普通の商売の方がいいよと思いますよねえ。やりたいことが見つかって、やりたいことに邁進できるってのが一番幸せな人生だと思うので、なんとも言えないですが。できれば、噺家でも漫才師でもないように祈ってます(笑)。

― 好きな言葉は?

 色紙によく書く言葉は『夢は高座で恩返し』です。自分がいつも感じていることです。私たちって本当、お世話になることで生きてるんです。師匠(燕路)とおかみさんにもそうですし、大師匠(小三冶)と大おかみさんにもそうです。一門の先輩たちもそうですし。お客様に対しても感謝の気持ちで一杯です。お礼を言わなきゃいけない人で溢れていて、(どれだけ私は人の世話になって生きていくんだろう)と思っています。お世話になる程度と言うか頻度と言うかが半端ないんですよね。着物も自分ではほとんど買ったことがなくて、いただき物がたくさんあります。子ども2人も、結局、私がお世話になってる人に育ててもらってるってことにもなるので、どうやって恩返しできるんだろうと思うと、もう、それは高座でしか返せない。お礼の品を贈るといいうのもいいんですけど、噺家として一番ステキなのは、見合った高座を自分が勤めることだと思っています。噺家にとって、高座というものがいかに全てであるかという。

― 燕路師匠から言われて心に残っている言葉はありますか。
 うちの師匠、格言めいたこと、いっぱい言ってくれるんですよ。いっぱいあるんですが、とっても印象的なのが2つあります。一つは、『心をいっぱいにして高座を勤めなさい』です。登場人物の気持ちが自分の中に満ち満ちて、はじめて台詞が出てくるんだぞ、という。そのためには、登場人物のことを自分で理解していないといけないし、台詞はどういう気持ちで言ってるのか理解しないといけないし、心をいっぱいにして高座を勤めるんだと。もう一つは『生きていることが稽古だ』。これも大好きな言葉です。

 でも、この前、師匠と2人会があったときのこと。その日私がやろうと思った噺が、ことごとく師匠がやろうとした噺とついてしまって(※1)、やるネタないな、弱ったなと思っていました。結局、つい最近あがった(※2)ばかりの『蛇眼草』ならできます、「じゃあ、それでいい」っていうことになったんです。そしたら、打ち上げの時に師匠に「お前なんで『蛇眼草』なんだ」って言われて、「はい。『蛇眼草』ならば、はっつぁんや隠居さんが話を進めて行く噺です。はっつぁんと隠居さんなら、(特別な人ではなく)いつもで、そこに居る人たちですから、すぐ喋ることができます。心をいっぱいにしてできると思いました。師匠が“心をいっぱいに”と仰っていたので」って言ったら、「俺そんないいこと言ったっけ!?」って(苦笑)。

 とぼけたところもありますが、私が二人目を授かった時に、「お前それはいい人生だ。長男も喜ぶだろう。良かったな!」って自分のことのように喜んでくれた師匠。私が結婚すると言った時にも、「結婚すると良いことばっかりじゃなくて苦労もたくさんある。でも苦労が多いってことは決して不幸な人生じゃねえんだ。その分、家族・味方が増えるということにもなる」と言ってくれた師匠。うれしかったなぁ。

※1 噺がつく=ネタが被ること。似たような人物や設定が出て来る落語はやらないのが慣習
※2 あげる=師匠に噺を聴いてもらい、合格の許しが出ると、高座でやってもいいことになります。これを「あげる」と言います。教わった師匠から「もう高座にかけてもいいよ」とお許しが出ないうち(完成度が低いうち)は、つまり、“あげ”てもらえないうちは高座で、その噺はできません。

― これを読んでいる、お客さんに最後に一言。
 まだ私なんて、もがいている最中、真っ最中なんです。噺家はみんな結局死ぬまで、もがき続けると思うんですけど。そのもがいている様、どうもがいているのかっていう生き様を見ていただきたいと思います。成長過程といっても良いかもしれませんが。もがいたり、人間らしく生きている、その様子が興味深い噺家は、お客様の心を掴むのかも知れませんね。

 教わったことを体現するだけでも大変なことなんですけど、そこに何か、その人なりの心の動きがあって、常にもがいている。これから2人の子どもを抱えて、これまで以上に猛烈にもがくと思うんですが、そのもがいているところを、そのもがいている噺家人生を一緒に過ごしていただきたいという、そんな感じです。これからもガンガン行きますんで、「おっかさんになっちゃったから、こみちさん、落語は二の次三の次になっちゃっただろうな」なんて思わないでいただいて、たくさん声をかけていただければと思います。変に気を使われて避けられてしまうのが一番辛いし、怖いんで。真打になるまで応援しますと言わないで、真打になってからも応援しますと(笑)、そんな風に言っていただければうれしいです。

(完)

=編集部まとめ=

燕路師匠の言葉にもありますが、噺家さんはネタによって、さまざまな人物になりきらないといけません。その点、こみちさんは「女」を消して、見事に殿様にも、与太郎にも、花魁にもなれる噺家さんです。

燕路師匠のお弟子さんだから、小さい路で「こみち」なんだろうと察しますが(聞き忘れました!)、存在感が大きい。小さいからだが、とても大きく見えました。 “板垣愛”も相当感じましたし(ラブラブぶり・家族愛)、それ以上にとにかく、落語愛が熱い。噺家としての矜持、品格を持ち、求める境地が高く、その分、抱えている苦悶も少なくないようで・・・。それだけに編集部としても、「女流」「女性」という言葉で括ったり、表現してはいけないような気持ちになっています。

他の女性落語家さんたちとは全然違う雰囲気と高座での佇まい。いまはまだ“小さい”のかもしれませんが、こみちさんの後ろには、(女流や女性と言う括りを超えた、こみちさんなりの)「本格派落語」という大きな道ができるものと確信しています。

(インタビュー&撮影:2015年12月吉日)

取材・構成・文:三浦琢揚(株式会社ミウラ・リ・デザイン


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。こみちさんの素顔。そして本音。

柳亭こみち 独占インタビュー(1)

柳亭こみち 独占インタビュー(2)

柳亭こみち 独占インタビュー(3)

柳亭こみち 独占インタビュー(4)

柳亭こみち 独占インタビュー(5)

プレゼントあり!「くがらクイズ」 こみち篇