将来、弟子を取るとしたなら、僕、内弟子がいいなぁ。
一緒に住んでほしい。家族になってほしいから。
― 20年後に、どうなっていたいですか?
20年後・・・47歳かぁ。落語芸術協会会員としては、とっくに理事になっていたいですね。逆に、それくらいの人間になっていないといけないなと思っています。40代前半には理事に、くらいの気持ちです。
― 真打になった瞬間から弟子入り志願者が殺到すると我々は予想しているんですが
まじですか!まじですか!うれしいなぁ。仲間内では「兄さんのところには絶対に来ませんよ」って言われてますよ。「兄さんは、どう考えても輩(やから。柄の悪い感じ)だから。来たとしても勘違いした女だよ」って(笑)。「兄さんが求めてるイメージの弟子なんて絶対に来ませんよ。だって(志願する以前に)ビビってるから」。
― いや、そんなことないですよ。きっとそれは「自分たちだったら小痴楽さんには入門したくない」ってことなんじゃぁ(笑)。弟子入り志願者が来たら、取るでしょう?
誰でも取るってことにはいきませんけどね。そりゃぁ、見ますけどね。まず、そうだなぁ。いくつかのルールを決めます。それを彼が守ってる限りは絶対に首にはしたくない。例え、途中から、そいつのことを嫌いになったとしても、弟子入りを許可したと言う責任は全うします。好き嫌いで破門にしたりはしないと思います。かと言って、弟子だから飯を食わしてあげるよってほど、こっちは甘くしないよ、とも思います。その辺のことも、じっくり考えたいですね。真打になってからですけどね、考えるのは。弟子入り志願者が来るかもわからないですし、来たら来たで、取ったら取ったで、初めての弟子にも、育て方などたくさんのことを学ばせてもらうんだろうと思います。
(将来、もし弟子を取ることになったならば)僕、内弟子がいいなぁ。(自分の家に)住まわせたい。一緒に住んでほしい。〔家族〕になってほしいからなぁ。師弟で他人行儀なのは嫌ですからね。
― 家族といえば、お兄さん。小痴楽さんと同じように噺家さんになるといったことはなかったんですか?
3つ違いの兄貴は僕と違って昔から落語大好きでした。お小遣いをもらっても一切使わずに3ヶ月分貯めて落語のCD買ったりしてました。「寿限無」とか噺も覚えてましたしね。ただ、とっても恥ずかしがり屋なので人前に出れないんすよ。僕と真逆(笑)。兄貴は大学を蹴って映像の専門学校に進学しました。映像を撮る側、スタッフさんの側ですね。僕が撮影される側だとすると、兄貴は撮影する側。
いっぺん、僕が(噺家に)なるって言ったときに聞いたんですが、兄貴も以前「俺もなる!」って気持ちをもったことがあったらしいです。「こんなに人前に出るのが苦手な俺でもやってみたい」って。でも結局、(人前に出るのが)怖くて親父に言い出せなかったそうです。
結果、僕だけが、こっちの道に進みましたけど、あとになって兄貴が、「俺はできなかったからなぁ」って、親父の持ってたCD、兄貴が自分で買い貯めていた大量の落語のCDを譲ってくれました。軽く“託された”って感じかもしれません。(落語家になりたくてもなれなかった俺の分まで頑張ってな)ってことかなと思っています。
― お兄さんは痴楽師匠(お父さん)の高座はお聞きになっていたんですか?
兄貴は聞いてます。兄貴は静かに大人しくできた子なんで、兄貴だけは楽屋に入れてもらっていました。落語小僧なわけですよ。まじめに礼儀正しく高座を見ていられる。だから親父に(自分の高座を見ることを)許可されてたんです。僕はまだ小さくてうるさかったし、落語に何の興味もなかったので騒ぐわけですよ。で、おめえは邪魔になっから来るんじゃねぇって(苦笑)。
お袋の脇に立って、親父の独演会の手伝いなどをしてるときでも、落語が始まると兄貴が聞きにいく。で、僕はボンボン先生(ボンボンブラザース。太神楽曲芸。鏡味勇二郎・鏡味繁二郎)、ボーイズ先生(東京ボーイズ。菅六郎・仲八郎。ボーイズとは楽器を使用した音楽ショーのこと)とか色物の先生のときに観にいく。そんな風に交代しながら手伝ってました。だから、僕は落語なんて全然聞いたことなくて(笑)。兄貴は、お小遣い貯めて寄席にも行ってたらしいです。落語協会の(寄席)らしいですけど。
― 人生って、おもしろいものですね。
最近、兄貴を落語業界に勧誘してみたんですよ、半分洒落で(笑)。「うちの師匠(柳亭楽輔)んとこに弟子入りして来いよ」って。そしたら実の兄貴なのに弟弟子と言う、複雑でおもしろいことになるからって。これだけで俺の最高のくすぐり(噺の中で噺家が定番的に用いるギャグや笑わせる部分のこと)になるからって。兄貴は見た目がいい(かっこいい)んで、落語の仕事以外にも必ず仕事が来るはずですよ。だから、安心して入門して来いよって。喰いっぱぐれないからって。
そしたら兄貴が「落語を馬鹿にすんじゃねぇ!落語はそんなに甘いもんじゃねぇ!」って。「(実際に落語家を)やってるお前に言うのもなんだけど」って。(素人の)兄貴のほうがよっぽど落語を大切に思っているみたいです(笑)。兄貴とは今ではすっかり仲良くなりました。親父が死んでからです。それまでは、まったく口も聞きませんでした。そんな仲でした。
― 軸というか、芯をいっぱいお持ちなので、「単純に柳亭小痴楽とは、こんな人」って理解するのは難しいですよね。(小痴楽さんの)人間性って。簡単じゃないと言うか、難しい人と言うか。
そうですね。距離感を間違えて火傷する人は結構いますね。僕はこういう感じですから、下の人とか親しげに近づいてくれるのはいいんですけど、「てめぇ、そこだけは守んなきゃいけないとこだぞ!」って部分をやられるとブチっと(笑)。他んとこは全然OKなのに、なんで、そこだけ間違えちゃうかなぁって。その部分だけをちゃんとしてくれたら、僕は何にも言わないのに、って人はいます。それ(叱られてる風景)を楽屋で見て学んだ人たちは、次からはすごく大人しくなって距離感をしっかり保ってくれるようになります。
僕が楽屋に入ってきてへらへらしてて、それにツッコんでくれるのは昇吾さん(春風亭昇吾)とかですね。昇吾さんが僕に軽口叩くのを見てる、もっと下の人たちは(この人は、怖い小痴楽兄さんになんてことを言っているんだぁ)って思ってると思います。
― 昇吾さんはフラ(※)ありますよね。
あれは、すごいですよね。ちっとも高座で活きないフラ(大爆笑)。ほんとにかわいそう(笑)。楽屋であんだけおもしろいんだから、それを高座で発揮すればいいのに。ほんと勿体ない。昇吾さんが、あのフラを高座で生かせる腕と言うか、道と言うか、手法を見つけたら、スゴイことになりますね。
※フラ:その芸人独特の何とも言えない可笑しさ・面白みのこと。その芸人さんが纏っている目に見えない面白い空気感。真似したり学んで身に付くものではない、ある意味、天賦の才。
― 以前の、他のインタビューの最後で「僕は落語が上手くなりたいんじゃなくて、面白くなりたいから」とおっしゃっています。その気持ちに、いまも変化はありませんか?
これは二つ目になって2年目ころのインタビューだったと思いますが、そうですね、変化はありません。先日、楽屋で歌丸師匠がテレビか何かのインタビューを受けておっしゃってました。「上手くなりなさい。お客様に上手いと言われる噺家になりなさい。お客様の言う“上手い”は、イコール、おもしろいってことだから。」って。同じことじゃないかなぁと。
それと何を“上手い”と捉えるかってことでもあると思っています。例えば「するってぇと、なにかい?」とか、「そこの角をしだりに曲がって」とか。そういう部分を徹底してやっているから上手い(とされる)のか?どうなんでしょうね。
古典落語を忠実にきれいになぞってる、そういう落語家さんは絶対に存在しなきゃいけないと思っています。伝統を継ぐと言う意味でも。途絶えさせたくない。だから僕は、そういう口調を捨てないようにはしています。どちらでもいけるようになりたいので。ただ、例えば雷太さん(春雨や雷太。現在、桂伸三)が、その(伝統を継承するという)役をやってくれるのであれば、僕はそっちの道には進みたくないんです。誰もやる人がいないんだったら、僕がやりますけども。
昔、ある人に「東京生まれだから言葉はきれい。だけど、現代っ子ならではの“なまり”があるわね」と指摘されたことがあります。鼻濁音もまだまだですけども、言葉に関しては大切にしたい気持ちは強いですね。でも、忠実に言葉を守った結果、それでおもしろいか?おもしろくできるのか?というジレンマも感じます。
江戸の言葉を知らない人であれば「しだりに曲がって」と言った途端、「あ!あの人、噛んだ」って思うかもしれない。そんな状況ならば、普通に「左に曲がって」と言うほうが良いと思っています。寄席(落語通のお客様が多い)であれば「しだり」、深夜寄席(若いお客様が多い)なら「ひだり」という具合に使い分けはします。
そのあたりを臨機応変に、どんなお客様にも対応できるというのが僕の考える“上手い人”ですかね。なので、僕は、家で古典(噺)をさらう(練習する)ときは、まず忠実に、そのままをさらいます。その後でアレンジしたほうを、という流れです。
― 尊敬する噺家さんを教えてください。
先ほど挙げた柳枝師匠の芸は聞いて感じ取ってはいますが、残念ながら人柄を知りません。志ん朝師匠(古今亭志ん朝)も同じです。芸としてはものすごい方。だけど会ったことがないので。僕の中では芸と人柄、両方知った上で初めて尊敬できる人となります。
その考えで言うと僕の(芸・人として)尊敬する噺家は3人です。歌丸師匠(桂歌丸)、小遊三師匠(三遊亭小遊三)、三三師匠(柳家三三)です。
ただ、芸風として(こんな風になりたいな)と思うのは志ん生師匠(五代目古今亭志ん生)ですね。(高座に)上がっただけで笑っちゃうんですよね。いま、Youtubeで師匠を見てて、見てるだけで笑っちゃう、噺を始める前から笑っちゃう。これって(芸人として)最高じゃないですか。ああいう人になりたいですね。存在が、風情が、その佇まいが、もうすでにおもしろいという。
そう言えば以前、大須演芸場で、高座の最中に大きな物音を立ててしまったんですよ。小遊三師匠の高座の最中に。師匠に謝ったら「いいんだよ。俺たちゃ、座布団一枚ありゃいいんだ。座布団一枚ありゃ、どこでだって噺ができる」と言ってくださって。かっこいいなぁと。つまり、(与えられた状況の中で、一番ベストな高座を勤めることができるのがプロの噺家だ)ってことだと感じました。高座の高さなどにこだわる師匠たちは大勢います。それもよくわかります。でも僕は与えられた状況の中で、常にベストな高座を勤めることができる噺家になりたいですね。憧れます。
― 今後、どうなりたいですか?どんな噺家さんに
すんごく軽~い落語家になりたいですね。柳枝師匠(八代目春風亭柳枝。しゅんぷうてい・りゅうし。江戸落語・東京落語・柳派の由緒ある名。落語家の名跡。)みたいになりたいですね。柳枝師匠を生で見たことはないんですけども。残ってる音源がどれも20分ないくらい。12~13分ばっかり。なぜ、こんな短いのばっかりなんだろう?って。そしたら小遊三師匠が「柳枝師匠は高座で踊ってた人だから。踊りの後の噺だから、(落語の尺が)短いんだよ」と教えてくれました。
正直、最初はトリ(※1)を取るような方には思えなかったので、夜の部のヒザ前(※2)くらいの出番の方なのかなぁと。トリにつなげる感じの、軽い感じの。そんな人になりたいですね。うちの協会(落語芸術協会)で言うと、最近、談幸師匠(立川談幸。だんこう。※3)が入りましたけど、談幸師匠のような感じの噺家。いいですよね。あとは、円橘師匠(三遊亭圓橘。えんきつ。円楽一門会。※4)みたいな方が、うちの協会に入ってくれたら、うちの協会の寄席が(いま以上に)どんなに楽しくなるだろうかと思います。
寄席が毎日満員になった時代って、寄席か歌舞伎・芝居くらいしか(演芸を楽しむ)場所がなかったという時代。いまほど遊べる場所、アミューズメントがなかったから寄席が満員になったわけで、あとは人気者が出演する以外は、割とこんな状況だろうと。その状況を冷静に分析・わかった上で、僕たち(若手噺家)が何をしていかなきゃいけないか。
寄席はいいんですよ。僕は寄席が大好きです。寄席を残したい。いつまでも存在していてほしい。そのためにも僕は(寄席には)変えなくちゃいけない部分と、変えちゃいけない部分があると思っています。
※1 トリ:寄席で最後の高座を勤める主任の落語家
※2 ヒザ前:ヒザの前に上がる出番だから“ヒザ前”。寄席では他の噺家がかけた同じ噺・同じ系統の噺はできません。開口一番から始まり、ヒザまでには相当の数と種類の噺が出てしまいます。それらを避けながら、トリネタ(真打がかける噺)以外の噺をしなければならない、気持ちよくトリにつなげなければいけないという多彩な噺を持っている人にしか勤まらない出番です。
ちなみに「ヒザ」:とは、トリの直前に上がる“色物”さんのこと。色物とは落語以外の芸、漫才・漫談・奇術・音曲・物まね(声色遣い)・太神楽・曲独楽・紙切りなど。ここに顔付けされる(出番をいただくこと)のは色物さんにとっての名誉。トリの師匠の邪魔にならないように最後の色どりを勤めるのが役目です。
※3 立川談幸:七代目・立川談志唯一の内弟子(住み込みの弟子)経験者。長年寝食を共にしたことから、一門の中でも談志の持芸を最も詳細に継承していると言われています。60歳になったのを機に、2014年、落語立川流を脱退し、2015年1月より落語芸術協会に準会員として加入。
※4 三遊亭圓橘:六代目・三遊亭圓橘。円楽一門会の相談役。人情噺、滑稽噺、文芸ネタなど幅広くこなす。通称、「深川の師匠」。四代目小圓朝、四代目萬橘(元きつつき)、橘也さんの師匠。
― 最後に、これを読んでいただいてる皆さまへ
最後までお読みいただき、ありがとうございます。(これを読んで)おもしろそうだと思ったら「くがらく」に来てください。来て見たけどおもしろくなかった!と言う場合には、今一度チャンスを下さい。
=編集部まとめ=
触ると叱られそうな、小痴楽さんの内面に触れてみたインタビューを終え、私たちは「柳亭小痴楽」というキャラクターを守らなければ。そう思いました。
いわゆる高座で見せる“柳亭小痴楽っぽさ”、からは見えてこない部分をたくさん感じたためです。“明るく元気な”とか、“輩(やから)っぽさ”とか、“カラっとした”とは真逆にある、複雑で微妙な部分をいっぱい感じました。
で、思いました。そうだ。柳亭小痴楽には襞(ひだ)が多いのだ、と。いわゆる心の襞(ひだ)の部分。
若いのに昔気質。図太いようで繊細。豪胆に見えて緻密。素直なひねくれ者。熱いけどクール。ヒリヒリするような危うさと優しさと、いとしさと切なさと心強さと、楽しさと。
キャラクターを守らねば。と思いつつも、結果として、高座とはまったく違う「柳亭小痴楽」さんをお届けすることになったかもしれません。(文字に出来ない部分も含め、これでも相当、削りに削ったのですが)
先天的な綱渡り性、とでも言うのでしょうか。物事の両極端を行き来しながら、綱から落ちそうで落ちずに、渡りきってしまう。ぐらぐらしているけど常に絶妙なバランスを保っている。 まるで映画『ザ・ウォーク』の主人公のように。
もしかすると、すべて計算なのか?と思わなくもないけれど、きっと計算など微塵もしていないのでしょう。その日暮らし、その瞬間を生きる、バランス的破滅型。 天性の噺家。色々な意味で、いまとても目が離せない、危うい色気を放つ噺家。
いつか遠くない未来、三代目小痴楽さんは必ず真打になります。また、同時期かどうかはわかりませんが三代目小痴楽が「六代目痴楽」になる日も来るかもしれません。そんな日が来たら、今夜聞いた話のあれこれを思って、くがらく編集部員は幸せな気持ちになります。そして笑いながら、ちょっぴりうれし泣くかも知れません。親のような気持ちになって。
チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。小痴楽さんの素顔。そして本音。
柳亭小痴楽 独占インタビュー(7)