売れる前から、偉そうでいたい。
― 小痴楽さんくらいズバズバものを言うと、「生意気だ」と思われることもあるのでしょうね。
生意気なことも、今だから、なお言いたいんです。売れてからは、みんな聞いてくれます。(すごいですよね)って。でも、それじゃ格好が良くない。売れる前から言いたい。偉そうでいたい、それが僕の生き方といえば生き方ですね。
― もう売れてるでしょう。
いやいや、まだまだ。(僕が言っているのは)本物の売れ方です。こんな低いレベルの売れ方ではなく。「二つ目でちょっと仕事があります」じゃなく、完全に。完全に売れている芸人になったとしても、今と変わらずに居たいんです。
自分としては売れてテレビにも出たいですけど、そうなると言いたい事が、ばんばん言えなくなってくるだろうから、それも窮屈だな、自由じゃなくなるのは嫌だなとは思います。世間を気にしなきゃいけなくなりますし。今なら「芸人ですから!」で済まされてることも、済まされなくなってくるでしょうからね。本心を隠さなきゃいけない、コントロールしなきゃいけないとなると面倒だし、ストレス溜まるし、面白くないし、楽しくないし。とは感じます。
― じゃぁ、もしこれから「テレビでレギュラー出演なんですが」、というオファーが来ても受けることはない?
受けます!絶対に受けますね。即OKです!とお返事します(大爆笑)。喜んで出演させていただきます。何と言っても、まず知られることが大事ですからね!逆に、売れてきたらバックレるかもしれないです。「もう出たくなくなった」とか言って(笑)。
― ところで、三三師匠(柳家三三)との接点はどこだったのでしょうか?よく会話の中にも出てきますし、噺を教わったりもしていらっしゃいます。
それまでも何度も寄席では(横浜にぎわい座など)お会いしていたんですが、大好きになったきっかけがありまして。
― なんでしょう
どの会か、寄席か忘れましたけど、ある時、「小痴楽さんは、なんで落語家になったの?お父さんがそうだったから?」と聞かれたことがありまして。そのとき僕は「いや、僕は親父の落語を聴いたことはないんですよ。たまたま家で、八代目(春風亭)柳枝師匠の『花色木綿』をCDで聞いて、落語家になろうと思ったんですよ。これをやりたいってなったんですよ」と。
すると三三師匠が「俺も大好きなんだよ。(柳枝師匠の)CD全部持ってるから今度ダビングして貸すよ」っておっしゃってくださって。それから二年後ですよ。歌丸師匠、小三冶師匠などと九州を回るという仕事のときでした。僕は歌丸師匠に付いて行っていました。そんとき三三師匠も一緒で。会うや否や「今日弟子に持たせたから。あのCD」って。何のことかと思っていたら、柳枝師匠のCDだったんですよ。「二年間ごめんね。ご無沙汰。渡せなくて悪かったね」と。
(覚えていてくれてたんだ!あぁ、なんてやさしい人なんだろう)って。下の人間に対する気配りはもちろん、それをちゃんと実行してくれたという。感激ですよ。(あぁ、この人に付いていきたい)と感じまして。あの通り、芸も素晴らしい方ですから。一気に大好きになっちゃいました。なんでもいいから噺を教わりたいなぁって。それで最初に三三師匠に「佐々木政談」を教わりました。そのあと「一目上がり」です。
何と言っても「佐々木政談」ですよね。ああいう登場人物がたくさん出てくる噺(奉行、大家、町人、お父っつぁん、子供たち)は難しいわけです。それを細かく丁寧に演じ分けができている人、芸のしっかりしている人、キレイな人に教わりたいと常々考えていたので、三三師匠しかないと稽古をお願いしました。三三師匠の「佐々木政談」はサゲもキレイなんですよ。僕はまとめオチみたいなのが苦手で(あんまり好きじゃなく)、サゲがちゃんとしているのが好みですから。三三師匠の稽古は丁寧なんです。入門したての子にやるように丁寧に教えていただきました。
― (落語のネタといえば)台本を綴じて、自作してらっしゃいますよね?
あれは、そうですね。18~19歳の頃からですかね。
― 小痴楽さんみたいに、綴じて作るって方、他にも?
いや、どうでしょう。気にしてみたことないですが。他の人は大学ノートとか多いんじゃないでしょうか。僕は形から入るタチなんで(笑)。なんか、こうきちっときりっとしてないと嫌と言うか。カタチから入るといえば、こないだ万年筆を買いまして。「原稿用紙に万年筆で書く。うん、これだね!」って(笑)。それまでは鉛筆だったんですが、万年筆だと消せないじゃないですか。形にこだわるもんですから、書き直し書き直しで、原稿用紙が無駄になって無駄になって(苦笑)。
― 万年筆は何を買ったんですか?
パイロットで一本と、人前でサイン(領収書などの署名のこと。お客様へのサインは、小痴楽さんは筆ペンがお好きとのことです)書いたりするための、この一本(※)。見た目がカッコいいなと。万年筆専門店で買ったんですが、最後の一本、デッドストックだってんで、なおさら、これだと。なんてブランドだったっけな。説明を受けたのに忘れちゃいました(笑)。
※万年筆好きの編集部員、曰く。「(くがらく撮影班の写真撮影が下手すぎて判別が難しいが)恐らく、このゴールドの万年筆は『カランダッシュ バリアス万年筆 チャイナアイボリーゴールド』。スイスの高級筆記具ブランドです」とのこと。
字は本当に入門してから覚えました(笑)。あと、「お前の字は、うまぶって(上手い人を真似て)書いてるだけだ。もっと練習しろ」とは言われます。志ん駒師匠(古今亭志ん駒)にはブチ切れされたことがあります(笑)。
― 文字といえば雷太さんが、大変おきれいですよね。
雷太さん(当時。現・桂伸三)の字はキレッキレですよ。人を何人も殺してきたような文字を書きますからね(笑)。刀で切り刻んだような文字。いつだったか雷太さんが僕の独演会に菓子折りを差し入れてくれたことがあって。熨斗紙に自筆で「祝 春雨や雷太」って書いてあって、それを差し出されたときに「(震えた声で)あぁ~りぃ~がぁ~とぉ~ご~ざ~い~ま~すぅ~」ってガタガタ震えながら受け取りましたよ。切り落とされた手首とか入ってんじゃねーかと思うほどのキレッキレな字なもんだから(笑)。
俺ら芸人が見なくちゃいけないのは、10年後であり、20年後、30年後だろう。
― 同期入門の方はどなたになりますか?
いないですね。僕の3~4ヵ月後にA太郎さん、9ヵ月後に鯉八、雷太。同期はいませんけどね、うちの親父にずっと言われてきたのが「お前は若くして入門するんだ。一日でも入門が早い人、上の人は当然先輩だ。でも、同じ時期に前座をやった人は、お前から以降のみんなは、全員同期だと思え。これから年上の後輩がいっぱいできる。でも、後輩と思って接したり扱ったりしてはいけないぞ」って。
ただ、遊里(三遊亭遊里)、吉好(春風亭吉好)、明楽(柳亭明楽)は、一緒に前座をやりましたけど同期ってのとは違いますね。小曲さん(遊里さんの前座名)も小遊三師匠によろしく教えてやってくれとか言われてですし。明楽はすぐ下の弟弟子ですし、明楽の同期が吉好さんなので、弟分感覚ですし。だから純粋な意味での入門同期は落語芸術協会にはいません。同じといえば、落語協会の柳亭市楽さんは楽屋入りの日がまるっきり同じです。
― 好きな言葉や、座右の銘はありますか?
うーん、ないですね。あえて書くなら「いい加減」?(爆笑) 「適当」とか。いいなぁ、座右の銘「ワハハ」、とか。口癖ならありますね。「めんどくさい」と「どうでもいい」。
― でも、こだわりの人だから、どうでもよくはないわけですよね?実際としては(笑)
いや、まぁ。でも、どうでもいいときは、本当にどうでもよくって。どうでも良くないことには徹底してこだわります。「くがらく」さんの、この取材の前にやった打ち合わせでも、ちょっとありました。譲りたくない話が。結局は(他の人の意見を尊重して)譲りましたけど。
― 理想というか、目指す高みが、人並み以上ですよね小痴楽さんは。
自分では、どうかわかりませんねぇ。でも、たまに「(芸が)できた気になってんじゃねーぞ、売れた気になってんじゃねーぞ」とは思います。自分に対しても、他の人に対しても。
バイトしないで暮らせている、素晴らしい。二つ目として売れている、素晴らしい。でも、そこじゃないよね、ゴールは・目標は・理想は。って。そこで満足してちゃダメでしょうと。志を高く持とうよ、と。
今を見てるのはわかる。現実も大事。でも俺ら芸人が見なくちゃいけないのは、10年後であり、20年後、30年後だろう。って思っています。
チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。小痴楽さんの素顔。そして本音。
柳亭小痴楽 独占インタビュー(3)