源兵衛と多助をノイズとして捉えて、彼らが(時次郎を)弄れば弄るほど、
初心な若旦那とのコントラストがくっきり浮かび上がって
おもしろくなると考えたんです。
― 楽輔師匠は、どんな方ですか?
やさしい師匠です。僕に対しても、弟弟子に対しても、(こんなんでいいのかな)ってくらいやさしい。明楽なんて馬鹿正直なんですよ。前に師匠から「時そば」を習ったらしいんです。で、こないだ師匠が“あげた(※)”って言うので、いつですか?って聞いたら、「二三日前だ」と。
※あげる:教わった噺を習得したらから「もう、高座でやってもいいよ」という許可を出すこと。「あげてもらう」=「やってもいいよ、というお墨付きをいただく」こと。本来は、このお墨付きが出ないうちにお客様の前でやるのはだめ。
あれ?待てよ?あいつ、とっくの昔に高座で時そばかけてたな、と。でも、その場では言い出せないじゃないですか。師匠をしくじっちゃうわけですから。
楽輔 「でな、よく覚えてきてるんだよ。だから、褒めるときはちゃんと褒めなきゃなって思ってよ。褒めたんだよ。そしたら、あいつ、なんて言ったと思う?ええ、もう何度か演(や)りました!、だってよ(苦笑)お前知ってたか?」
誤魔化そうと思ったんですけどね、もう明楽が馬鹿正直に告白しちゃってるんで、もういいやと。
小痴楽 「師匠を騙すつもりじゃなかったんですけども、はい、僕、2回見ました。やるネタが尽きちゃって仕方なく演ってるところを。」
楽輔 「そうか、俺もな、そう言われちゃっちゃぁ、怒るしかねえだろ。形としてよ」
小痴楽 「いやいやいや、師匠、カタチじゃなく、本気で怒っていいんですよ!(苦笑)」って。
いろいろ聞いてくれますしね。こないだは「楽ちんのこと、どう思う?」って言うので、「師匠、うれしいんじゃないですか。僕は途中からだし、明楽さんは、あんなんだし(苦笑)、純粋な弟子として、師匠にも似てるところ、いっぱいあるし」って。そしたら、まんざらでもない顔をして「うん。あいつは俺に似てスジがいいんだ、うん」なんて言うんですよ。
ただ、楽ちんさんは、師匠の表面的な部分を受け取って真似になってる気がするので、「師匠の核の部分を真似しなさい」とはアドバイスしています。
あと、うちの師匠は可女次兄さん(三笑亭可女次。5月に真打昇進して三笑亭可風)、夢丸兄さん(二代目三笑亭夢丸)が大好きなんですよ。友達みたいに話すし、接してるし。(ほんと、この人はやさしい人だなぁ)っていつも見てます。
楽輔門下になり、二つ目になってちょっと立ったある日のこと、浅草の楽屋で師匠とフレンドリーにけらけら笑ってたら、文治師匠(桂文治。元・平治)が楽屋入りしてきて、そんとき、ぴしっとスイッチが入って「おはようございます!」って、きっちり挨拶したわけですよ。その直前まで、自分の師匠とけたけた笑ってたっていうのに。その瞬間、(あ、いけね。結果的に、師匠に失礼な態度を取ってしまった)と思って。
文治師匠は怖かったですから、未だに見るだけで、緊張してピリっとなっちゃうんですよ。未だに、おまわりさんを見ると緊張してピリっとなるのと同じで(笑)
その後、師匠宅にお邪魔したときに、侘びたんですよ。先日は楽屋で~って。そしたら師匠は、「いや、あれでいいんだ」と。
「平治はお前の一番最初の師匠だ。ああなるのが当然だ。あんとき、逆にお前が平治に対しても、軽い挨拶、友達みたいな挨拶をしてたら、俺はあの場でお前を破門にしてただろうよ。お前を最初に拾ってくれたのも平冶、噺家として残る道を残してくれたのも平治。そこを忘れちゃいけないよ。だからって一番平冶、二番俺ではダメだ。だけれどもな、わかるよな」
「俺も、夢楽に拾われた身だ(弟子入りしていた四代目痴楽が倒れたため、三笑亭夢楽の預かり弟子となった)。だから俺の師匠といえば夢楽を指す。でも時間が経つにつれて順位なんてなくなる、痴楽も夢楽もどっちも同じ大切な師匠に思えてくるんだ」って。
― ご自身は、どんな噺がお好きなんですか?
僕が一番好きなのは、はっつぁんとご隠居さんのやりとり。あの2人の掛け合いが大好きなんです。「一目上がり(ひとめあがり)」「道灌(どうかん)」辺りが好きなのも、その辺が含まれているからですね。口が悪いものの、根底に流れる愛情をひしひしと感じるじゃないですか。この2人、年齢は離れているけども、本当に仲がいいんだなぁって思うじゃないですか。たまらないんですよね、演ってて。
歌丸師匠と僕とのやりとりも、ある意味、はっつぁんとご隠居さん(のやりとり)だなと感じてます。とっても人間味があって、あったかい。「一目上がり「道灌」を演ってるときが一番楽しい。あとは落語らしい落語ですね。「猫の災難」とか。ったくしょうがねぇなぁ、こいつらは!っていう噺。
遊雀師匠(三遊亭遊雀)から教わった「湯屋番」も演っててウケルし、楽しいから好きですけども。あの噺は“武器”ですからね。最近、師匠、おやりになってないみたいですけど(師匠に教わったままなので)恐らくそっくりだと思います。
― 「明烏」は?
「明烏(あけがらす)」は鯉昇師匠(瀧川鯉昇。たきがわ・りしょう)です。浅草(演芸場)にふらふら遊びに行ったとき、演芸場から鯉昇師匠が、後ろからは真打から二つ目から、5~6人がぞろぞろと。みんなでどこに行くんですか?って聞いたら、可女次兄さんが「(鯉昇師匠から)明烏習うの!」って。鯉昇師匠が「(お前は、このネタ)持ってるか?」とおっしゃるんで、「持ってません」と。したら、鯉昇師匠が「じゃぁ、(お前も一緒に習うの)やる?」。「え!いいんすか!?やりますっ!」ってんで。
― 珍しいんじゃないですか、一度に5~6人が稽古つけてもらうと言うのは
そうですね。昔はたくさんあったらしいですけど。一度に5~6人は、めったにあることじゃないでしょうね。狭い楽屋、稽古部屋だったので、そうだ、思い出してきた。あんときは7人居たんだ。もう座るとこないし、師匠が「小痴楽さん、立って聞いてるのも辛いでしょう。じゃ、はい、このパイプ椅子に座って聞いてて」って。僕、入門したての見学者みたいにして聞いてました(笑)
― 教わってみて、いかがでしたか
源兵衛と多助が登場するまでは師匠に教わったとおりに、やっています。そこからですね。僕は(小痴楽らしくするには)若旦那の時次郎よりも、源兵衛と多助に目をつけました。源兵衛と多助をノイズとして捉えて、彼らが(時次郎を)弄れば弄るほど、初心な若旦那とのコントラストがくっきり浮かび上がっておもしろくなると考えたんです。で、そのあとで時次郎をノイズとして扱って大騒ぎさせて、烏かあで夜が明けて~で、すーっと終わらせると。これが自分ができる「明烏」の理想形なんです。
― 小痴楽さんは若いし、しゅっとした見た目もあって、若旦那のイメージにも近いとお客さんは感じるかもしれませんね。
なるほど。ただ、今の自分には技術がないから若旦那もオーバーに演じるしかできないんですよね。粋な若旦那なんて、できないからなぁ。僕はどうしても上品さに欠けるので、その辺が(課題)ですね。今の僕だと、源兵衛と多助に重きを置くしかなくて。この二人が若旦那を苛めて苛めて苛め抜くと言う(笑)
※ 明烏:酒も女も知らない堅物の息子・時次郎を心配し、父親が一計を案じる。なんと、町内の遊び人二人(源兵衛と多助)に頼んでお稲荷様(遊郭の吉原)へ連れて行ってもらうと言うのだ。初心な時次郎は騙されて吉原へ連れて行かれるが・・・。
― 基本的なことを聞いてしまいますが、(稽古の際)師匠が噺を終えると、その次はどうするんですか
師匠方によって違います。回想してくれる方もいますし、やって終わりの師匠もいます。僕は滅多に教えることはないんですが、僕の場合だと、まず、僕が教わった通りに一度演ります。次に、僕がアレンジした噺を通しで演ります。で最後に、僕が変えた部分はここで、こうで、こういう理由でと解説を加えます。大切な箇所はここだよ。ここの部分は、どこどこ師匠が考えた部分で(このまま勝手に使ってもいいけど、出所をちゃんと知っておいたね)、ここは僕が自分で考えた部分だから自由に使っていいよ、などを伝えます。自分で好きなほうで覚えてきな、どっちで覚えてもいいからね、と。それで稽古終了です。
― まさに口伝(くちづて)、伝承の芸ですね、落語。すばらしい!先日、橘也さんに何か噺を教わったとか?
「花見酒」ですね。以前、両国寄席に初めて入れてもらったとき、橘也兄さん(三遊亭橘也。2017年4月に真打昇進が決定)の「花見酒」を聞いて、すごくおもしろかったんです。(あぁ、この兄さんの高座、俺好きだわ)って感じて。4月にネタ出しで覚えなきゃならないので、それで教わりにいきました。
小さな費用で若手が会を開けるような、
練習のための高座が生まれるような場所がほしい。
― 話は変わりますが。「囀や(さえずりや)」さんのお席亭が、こないだおっしゃってましたよ。「小痴楽さんに言われて(美味しく淹れるために)珈琲を習いに行ったんだ」って。「囀や」さんでいただいた珈琲、本当に美味しくて。びっくりしました。
いやいやいや(笑)、あれは平山さん(囀りやのお席亭さん)が(落語会もできる)カフェスペースを始めると言うので、じゃぁ「珈琲も出すの?(なら当然)ちゃんと美味しい珈琲を淹れんでしょ?」って言っただけで。そう言えばケーキ(づくり)の教室も通ったとか言ってたなぁ。
もともと僕の勉強会のチラシ(トレインスポッティングのパロディ)を見て、興味も持ってくれたらしく。最初の出会いも強烈でした。18時半の待ち合わせなのに、僕寝坊しちゃいまして、起きたのが20時(苦笑)。向こうも向こうで僕に対して失礼が多いので、いろいろ怒ってたんですよ。「失礼だな、あなた」って(苦笑)。
― あぁ。おっしゃってました。「よく叱られるんです・・・」って(笑)。
そんなこんなで僕のことを好いてくれまして。仲良くなりまして。当時、僕には計画があったんです。計画と言うか、思いと言うか。売れた瞬間に寄席を造りたいと。まぁ、今で言うと連雀亭(※)なみたいな所を造りたかったんですね。まだ、当時は(連雀亭が)できる前で。とにかく、落語を演る場所がなくて困ってたんです。ほんと、少人数のお客様が入るだけでペイできるような、それくらいの小さな費用で若手が会を開けるような、練習のための高座が生まれるような場所がほしいと。
※神田連雀亭:二つ目だけが出演する落語・講談の寄席。神田・加藤ビルのオーナーと、「二ツ目の活躍の場を増やしたい」という古今亭志ん輔師匠の思いから誕生した。
例えば20人のお客様を集客できない。できないから会を開かない。会を開かないと(人前での)稽古ができない。鍛錬にならない。そんな悪循環を断ち切りたかったんです。だから無理のない額で貸して上げられる小屋を造ろうと。落語をやるためだけの必要最小限のものだけしかなくていいと。
そしたら志ん輔師匠の尽力で「神田連雀亭」ができたじゃないですか。僕にはあれが理想形です。僕が思い描いていた若手のための小屋のイメージそのものなんです。加藤オーナーにも感謝しています。
僕も、それなりにイメージは持ってましたが、まだ収入の面でそこまでの費用は出せない。もどかしい。なんて話しをしてたら、平山さんが「じゃぁ、その夢、私にやらせてください(手伝わせてください)」って言ってくれまして。それで「囀や」さんが誕生したんです。
― 志ん輔師匠との出会いは?
前座に入りたての頃に、お鮨屋さんの落語会か何かでお会いしたんですね。そのときに、どなたかが「痴楽師匠の息子さんです」って僕を紹介してくれた。師匠の反応は「で?だから?」な感じで。その反応が僕にとってはすごく嬉しかったんですよね。二世ってことで、なんかもてはやされると言うか、過剰に反応されたくはないので。だから余計に、そのときの志ん輔師匠のクールな反応が心地よくて。
その後、別の会でお会いしたときも、僕が挨拶しても(志ん輔師匠は)素っ気無い反応で。僕はそれで良くて。それが良くて。
ちょうど、その時の現場です。電話で理不尽なお願いをしてきた上の前座仲間を、僕が叱り飛ばしたんですよ。そしたら、それを聞いていた志ん輔師匠が(偉い。筋が通ってて気持ちが良い奴だ)と。僕を認めてくれるようになって。そしたら帰りがけ、靴を履いてまさに帰ろうとした瞬間ですよ。「あ、ち太郎さんて言ったよね。電話番号教えてくれる。仕事をお願いしたいから」って。それからずっと可愛がっていただいてます。
その話しを僕に教えてくれたのが小遊三師匠のマネージャーさんです。そんときの話もおもしろくて。当時、雷太さんと僕が可愛がってもらってたんですけど、そのマネージャーさんが志ん輔師匠に曰く「雷太さん(を使うの)はわかります。でも、なんで、ち太郎?師匠が一番嫌いなタイプじゃないんですか?」って(苦笑)。そしたら、さっきのエピソードを教えてくれて。「今の時代に、あんなタイプの子がいるのはおもしろい。もっとずっと傍で見ていたい」って言ってくださったみたいで。
いつだったでしょうか。「前座・二つ目って一番場数を踏まなきゃいけない時期なんです。それなのに寄席って不思議なモンで、10日間で交互(出演)を入れても、出演できる二つ目は4人。出番は2箇所。これはまずいんじゃないですか?」と。それを志ん輔師匠に言ったんですよ。そしたら「たまごの会、出ない?」って引き入れてくださって。
両国寄席も、同じことを円楽師匠(三遊亭円楽)に言ったところ、「出てみない?毎月1回、年間で12席は高座数が増えるよ」って。とにかく、人前に立って噺をしていかないと経験知(値)が増えませんからね。
「囀や」さんで「前座四人会」ってのを始めたんですが、これは僕の発案です。僕の時代は前座が少なかったから、まだ高座には上がれましたけど、二日にいっぺん、下手したら10日間毎日上がれた。でも、いま(数が)多いでしょう。場数を踏めないんですね。10日間前座勤めしてても一日も上がれない人もいたりする。それが可哀想で。じゃぁ、お金にはならないけど機会をつくろうと。疲れてて出たくない人はそれはそれでよし。ただ、寝る時間も要らないから高座に上がりたい、人前で喋りたいと言う人はおいでよ、と。
― 小痴楽さんほど、落語会全体のことを考えている二つ目さんはいるんですか?
います。いっぱいいると思います。特に正太郎さん(春風亭正太郎)とは、よくこの手の話しをします。「高座から外見から発言から、すべてがイケイケで(上層部に)批判的なのに、いざとなると保守的だよね。上(上層部)を守るよね」って良く言われます(笑)。
吉笑さん(立川吉笑)が、最近本を出したじゃないですか(『現代落語論』)。最初は僕、「何が落語論だ。入門してまだ5~6年の人間が何を言ってるんだ」と言ってたんですよ。そしたら正太郎さんが「兄さん、それは違う。そう思うのは読んでないからですよ。まずは読んでください。読んだら変わるから。よく、そのキャリアでそのことを思いついた、書けた、発信する勇気が持てたって思うから。兄さん絶対に好きになるから。もう、(意識が)ガラリと変わりますから」って言うんです。
そういう指摘やら落語論やら、正太郎さん、小辰さん(入船亭小辰)とは良く話すんですよ。気が合うんですかね。仲良くガツガツ言い合えるんです。協会が別なのに(落語協会)、そうやってガツンと言ってきてくれるのは嬉しいですね。特にね、うちの協会よりも、そういう上下関係、仕来たりみたいな点で厳しい落語協会の人が言ってきてくれるのはありがたいことです。
― 小痴楽さんは視点をいくつも持ってますよね。お客さんを高座から見る目線と、落語芸術協会全体を見つめる目線、さらに高い、落語界全体を見つめる目線と。
黙ってても将来、自分たちは中堅になります。そしてベテラン、あるいは幹部候補になる時代が来ます。20年後30年後、僕は落語芸術協会をまとめる立場になっていたいと思っています。何人かいる幹部のうちの1人に。だから今のうちに、ちゃんと言うべきことは言っておきたいし、今は生意気に思われたとしても、偉くなってから強気で発言するのじゃ遅いと思ってますから。ですので、僕は芸協の総会は休んだことがありません。必ず出ます。最新の協会内の状況を正確に把握しておきたいので。
チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。小痴楽さんの素顔。そして本音。
柳亭小痴楽 独占インタビュー(5)