自分の好きな世界は自分では『変だ』と思っていますし、
これまでの人が演ってる世界と被るとも思っていませんから、
なんとか気づいてくれる日を待ってるって感じですね。
― 駒次ワールドって一言でいうとなんですか?
わからないです。自分が思ってるのと、お客さんが見てるのとは違うんで。さっき「(駒次さんの新作落語は)きれいですよね」って言っていただきましたけど、僕自身としてはギャグだって思ってやってるんですよ。マジっぽくやってるのが、僕からしたら実は全部ギャグなんですけど…って思ってやってるんですよね。もちろん「(公園の)ひかり号」は違いますよ。でもそれ以外のネタとかは…。
― 新作落語の噺家さんって、どなたも個性派、ユニーク指数高めです。
キャラですよね。変テコだからウケるってのがすごく多くて、なんとかそれを克服できないかなと思ってるんですよ。あの強烈な人たちの中で、生きていくにはっていう…。
― どうしようと思ってます?策はあるんですか?
ないです。けど自分の好きなものやってくしかないと思っているんです。でも自分の好きな世界は自分では『変だ』と思っていますし、これまでの人が演ってる世界と被るとも思っていませんから、なんとか気づいてくれる日を待ってるって感じですね。全く焦らず。例えば思ってるのは、仲間でも全く感覚の違う人いるじゃないですか。見てる方向違う人。そういうの見てて、見てる方向が全く違えば、ずっとやってれば、そのうち気づいてくれる人いるんじゃないかなと思ってますね。
― 駒次さんの噺はきれいですよね。ドラマ的というか。映画的というか。ストーリーにお父さんが出てきて、もうニューファミリーのパパっていうかそれが駒次さんのニン(※)っていうか…。ある意味、駒次さんと言えば“パパ”とか“彼氏”とか“若旦那”とか。そういうイメージはあります。
※ ニン:本来は歌舞伎での言葉。役者の持つ芸風や性格(キャラクター)の事。これが役柄にあった時には「ニンにあう」、似合わない役を演じた時は「ニンにない」というように使われていた。これが歌舞伎と関係の深い落語の方でも使われるようになった。
確かに、それはあるかも知れません。“昔のお父さん”みたいなキャラ設定でやろうとすると全く伝わらないんですよ。だからそれはよくわかります。随分前に、江戸を舞台にした新作を書いたことがあります。「小僧の神様」ってのと、「花は桜木」ってやつ。でも、そういうのつくっても江戸の雰囲気が出せないと…と思って、今はつくってはないですね。
― 「初めての自転車」とか、普通なら情けないお父さんをコミカルに演って笑いを取って終わり、ってなる気がします。でも駒次さんのはそうはならない。
あの噺の元はテレビです。ドキュメンタリーで僕、観たんですよ。本当に自転車メーカーの自転車教室があるんです。子どもが自転車に乗れなくて、お父さんは何とかしたいと教えてる。でも子どもは全然やりたくなくなっちゃってる。お父さんは転ぶたびに怒ったり、やきもきしたりしてる。お母さんは遠くで見てて、「あれはやり過ぎじゃない!?」みたいなこと言ってる。そんなテレビ番組。
で、実際本当に自転車教室に行くんですよ。その教室の指導係・おじさんたちの教え方がめちゃくちゃ上手くて。子どもの顔がどんどん明るくなっていくんです。お父さんも、(あっ、そうか)みたいな(笑)。だんだんわかっていくという。それを見て、あの噺をつくったんです。
ただちょっと、あの噺もね、年輩の方だと伝わらない場合もあるんですよ。きっと僕の落語としての表現の仕方が足りないからなんですけど。最初に走っているところで、(何この落語?見たことない)って離れていくんです。シーンとしてます(笑)。難しいですね。でもそこの、わかんないってところが(僕としてはつくって演ってて)おもしろいって感じでもあるんですよね。簡単に丸っきりわかっちゃったら、別におもしろくもないだろうし、という。
― 駒次さんは、柔軟そうで、芯はありますよね。
やりたい・やりたくないはありますよ。
― “やりたくない”のはなんですか?
やらないようにしてるのは、ネタの中で噺家の名前を出すとか、そういうことはしないようにしてます。楽屋ネタとか。改作もおもしろいのはありますけど、たとえば噺家の中で落語のネタを出すってことがありますよね。あれウケるじゃないですか。でもそれはウケるの当たり前だと思うんで。噺家がその楽屋のことを言うとか落語のことを言うとかウケるの当たり前だし、お客さんとしても、ちょっと落語を聞いてきた人なら一番そこが大好物だと思うんですよ。“知ってる俺・通な俺”みたいな。それは僕としてはやらないようにしてますね。
― (理想や芯があるということは)難しいところにチャレンジしてるんですよ、きっと。
いや、そこしかできないからですよ。
― 誰にもできないってところは、そういうところなんですよ。
真似できないだけですね、ほんと。
「若い人は爆笑するんですけど、寄席行くとウケないんです」「上手けりゃ誰だってウケんだよ」
― ほかの人の、例えば小ゑん師匠の「ぐつぐつ(※)」などもそうですけど、自分の作品をどなたかに教えたことありますか?
ないです。
※ 「ぐつぐつ」:柳家小ゑん作、おでんを擬人化したシュールな新作落語。おでんの鍋で煮込まれるイカ巻が主人公。これだけ読むと「はぁ?」ですが、聞くとは まります。いろいろな噺家さんに口伝えされていっている名作の新作落語です。古典落語には「だくだく」。新作落語には「ぐつぐつ」。
― やっぱり駒次ワールドなんですよね。
(他の噺家さんは、僕のつくった新作落語は)できないですよね。
― 新作を考える上で大切にしていることとは。
なんでしょう。わかりやすく、ってことは考えてますけど、中々、わかりやすくならないんですよね。あとは自分の思い入れを入れ過ぎないことでしょうか。特に鉄道とか自分の好きな分野のものは。
― 今回のキャッチフレーズにも入れさせてもらってますけど“鉄道落語=駒次”、みたいなイメージはどう感じますか?
よく言われることとして「一度ウケちゃうと、ずっとそのイメージになっちゃうから、ひとつイメージ付いちゃうとそこから脱却するの大変だよ」と。でもま あ、それを大変とも思わず、(あっちも、こっちもやってるよ)みたいな。(軽くいきたいな)ってのはありますね。だから、鉄道落語ってイメージが付いても いいです。やんない時もしょっちゅうあるし。
例えば三席やる時に鉄道落語も演るし、他のネタも演るし。それぞれウケればいいですね。有難いのは鉄道落語をきっかけに入ってきてくれる人がいますか ら。ヤクルト好きな人で「神宮のビール売りの女っていう落語とか私好きなんです」って言って入ってきてくれる方もいますし。それはうれしいことですよね。 以前は入り口が「鉄道戦国絵巻」だけだったんで、それを聴いておもしろくて来ましたっていう人ばかりだったので。入り口が広がって、鉄道系だけじゃないお 客さんが来てくれるようになってるのは有難いですよね。
― 浸透してきてるってことだと思うんですが、ご自分ではどう見られたいですか?どう思われたいかという。さっき「新作といえば駒次みたいなイメージ」とおっしゃっていましたが。
とりあえず、「(この噺は)聴いたことねーな」っていう風には思われたいです。「これ、落語では聴いたことない」とか「落語なの?これ」みたいな。落語 の形は一番伝わりやすいと思うんです、落語の聴くお客さんにも、自分でもやる方としても、でも落語では聴いたことないっていう風には思われたいと思ってま す。だからといって映画っぽいってのも、そんなにうれしくないっていうか。
― 映画っぽいと言えば、円丈師匠はランボーとかタイタニックを落語ネタにしてます。
師匠のは落語のフォーマットでやってるじゃないですか。この間「ビール売りの女」ってのをやった時に、「場面の転換の仕方が、映画のやり方ですよね」っ て言われたんです。僕は意図的に、そういう風に作っているんです。この手法は、(柳家)さん喬師匠(※)と喬太郎師匠(※)の落語から得たものです。観ていて心地よい 転換の仕方なんですよね。両師匠とも、いきなり転換するんですよ。あんまり説明なく。突然、次の台詞に入るっていうやり方をしていて、前からかっこいい なって思ってたんです。
※ 柳家さん喬:本格古典落語の名手。穏やかで優しい語り口。人情噺の評価が高いが、滑稽噺にも力量を発揮する当代きっての実力派。
※ 柳家喬太郎:新作も古典もこなす守備範囲の広い万能落語家。愛称はキョンキョン。柳家一門の伝統・滑稽噺のみならず、怪談噺でも迫真の語り口で見るものを圧倒する。変幻自在の高座で常に客席を沸かせる今の落語人気を支える代表的な売れっ子落語家。
― 喬太郎さんはそう思っていましたけど、さん喬師匠もそうですか?
さん喬師匠もそうなんです。喬太郎師匠は、恐らく、さん喬師匠のやり方の影響を受けている気がします。さん喬師匠の場面転換はすごいですよ。
― これからの仕掛けとかビジョンとか。こういうとこで、こんなコトしたいとか思い描いていることありますか?
とにかく寄席に出られる人になりたいですね。それ以外ないですね。寄席に出るって本当に大変なんで。
― 今回、国立出ずっぱりじゃないですか。(取材時。平成28年春の真打昇進襲名披露興行@国立演芸場)
ただ入ってるだけですから。寄席の香盤に必ず入ってるという人になるのが夢です。
― もし今後、鈴本(演芸場)で主任興行するとしたら全部新作を演りますよね。
もちろんです。10作もちろん。以前から考えているのは、仮に5人で真打に上がったとすると、各寄席2つずつ10席なんですよ。それをまず違うもので全 部演りたいです。それを全部、自分オリジナルの新作で。そう考えると白鳥師匠(※)とかものすごいです。僕が言うのもなんですけど、すごくよくできてるん ですよ。構成がものすごくしっかりしています。ストーリーの組み立てなら白鳥師匠だという気がします。
― 去年、「豚次シリーズ(※)」を、三三さんとか扇辰師匠にも演ってもらってましたね。
(正統的な古典落語の使い手である)三三兄さん(※)にやってもらうと(構成の素晴らしさが)すごくはっきりするんですよね。
― 扇辰師匠の「豚次シリーズ」を聴きましたが、やっぱり別物になっていました。
そうでしょうね。僕も以前、天どん兄さん(※)の「ひと夏の経験」というネタを演りましたけど、絶対そのままじゃできないですよ。でも他の人のネタを演 るとほんと勉強になります。これじゃ俺はできないなと思うし、このやり方でウケさせてる人ってすごい!って痛切に思います。(これでなんでこんな笑いが起 こせるんだろう)って。
※ 三遊亭白鳥:円丈師匠のお弟子さん。過去は春風亭昇太を始めとする「SWA(創作話芸アソシエーション)」の一員。落語をあまり知らずに入門しただけに、突拍子もない独自の世界観で新作落語を幅広く展開する奇才。
※ 「豚次シリーズ」:白鳥師匠の創作落語。正式名「任侠 流れの豚次伝(全十話)」。※ 柳家三三:さんざ。人間国宝・柳家小三治師匠の弟子。 正統派、柳家のホープ、古典の継承者など数々の賛辞を受け続ける実力者。
※ 三遊亭天どん:円丈師匠のお弟子さん。新作落語と古典落語の両方に取り組む。とぼけた人柄、独特の雰囲気から醸し出される天どんワールドが人気。新作落語教室の講師をするなど知性派でもある。
― ここまでお話を伺ってきて感じるのは、やっぱり駒次さんは誰とも似ていない唯一無二な噺家さんですよね。たくさん噺家さんいる中で個性を捉えるのが難しい噺家さんもいますけど、新作の中でも駒次さんは個性をお持ちだから。
そんなことないです。もっとがんばります。
あるとき、小ゑん師匠が、小さん師匠(※)と飲みに行って言われたらしいんです。「若い人は爆笑するんですけ ど、寄席行くとウケないんです。師匠も若い頃、そういことあったんですか?」って聞いたところ、小さん師匠が一言、「上手けりゃ誰だってウケんだよ」って。 そこで小ゑん師匠は目の前がパーッと晴れたっておっしゃってました。
同じように、志ん八さん(※)が円丈師匠に、「おじいちゃんおばあちゃんに新作ってウケないじゃないですか。やっぱり寄せた方がいいんですか?」って聞いたら、円丈師匠が「それは違う。自分の好きなようなことやって、どこ行っても爆笑された時が売れた時なんだ」って。
それ、もう、なんの迷いもないじゃないですか。目の曇りもない。そうか!って思いました。ウケるウケないっていうのは、ただ自分の技量だけです。これま でに見たいに古典と新作と両方やってたら、そのせいにしてたと思うんですよ、僕の場合。それを吹っ切れただけでも良かったです。
※ 柳家小さん:五代目。落語家として初の人間国宝に認定された言わずと知れた名人中の名人。
※ 古今亭志ん八:駒次さんの同期。TENの一員。古典も新作もこなす。
― これを読んでるお客さんに一言
食べ物の出てくる噺をつくりたいと思っています。鉄道系でいうと駅そばが登場するものとか。
=編集部まとめ=
駒次さんは、ポーカーフェイスだ。常に淡々と、飄々としている。そして、常に人と“ちょっとだけ違う景色”を見つめている。
個性が売り物の演芸の世界、落語界においては“個性的”な噺家さんが当然ながら大勢いらっしゃいます。その中でも新作落語の看板を掲げる噺家さんは、個性 of 個性、個性派中の個性派なキャラの持ち主たちばかり。この群雄割拠の新作落語業界において、駒次さんは、どちらかというと見た目でのインパクトは強烈とは言えません。普通の人っぽい。しゅっとしてるし、優男(やさおとこ)だし、趣味の話を伺っていても、相当な女子力の持ち主。
個性派中の個性派なキャラの新作落語家さんたちが “だいぶ人と違う景色”を見ているのだとすると、駒次さんのは、その景色が“ちょっとだけ違う”。特殊な人にしか見れない“だいぶ人と違う景色”とはちがって、一般人が誰でも垣間見ることができる、日常の隙間とも言えない様な、ほんのちょっとした隙間を見つめている。
そこを駒次さんは突いてくる。つんつんと突いてくる。羊毛フェルトの針…のようには尖ってないけど、やさしい針でつんつんと突いてくる。
日常の隙間とも言えない様な、ほんのちょっとした隙間。そこから編み出される笑いや感動。それが駒次さんのいうところの『変(へん)』なのではないかと思いました。
誰かの真似ができるほど器用ではない。だから、自分だけの新作落語。食べ物で表現するならば、駒次さんの場合は、ひとつの料理というより、味。味わい。得も言われぬ風味。
古典的な例えで言うと“噛めば噛むほど味の出るするめ”といったところでしょうか。新作的な例えで言うと…。それは駒次落語を複数回聞いて、みなさんで体感していただければと思います。
こまじの“じ”は、味(あじ)の“じ”。じわじわ来ますよ!駒次さんの味。
(インタビュー&撮影:2016年5月吉日)
取材・構成・文:三浦琢揚(株式会社ミウラ・リ・デザイン)
チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。駒次さんの素顔。そして本音。
古今亭駒次 独占インタビュー(4)