「上手いと言われて喜ぶな。面白いと言われて喜べ」
― そのあとは?
3回目に師匠に会いに行ったのは浅草でした。浅草に行って、また師匠のところへ挨拶に行って。そしたら「じゃあちょっと飯食いに行こうか」って言われまして。田原町に「甲州屋」って蕎麦屋があるんですけど、その店の脇の「寿花(ことぶき)」という喫茶店に連れて行かれて「どうしてもなりたいのか。じゃあわかった。今度、いついつご両親を連れてきなさい」と。
― ようやく許可が!
ええ。その後、うちの両親を鈴本に連れて行って、師匠の高座を見させて、風月堂に行って、両親と私とうちの師匠、4人で話をしました。またね、うちの母親がバカで(笑)。
― 何が起こったんです?
師匠に向かって、よりによって「『せっかく大学まで入れたのに、こんな商売になるなんて!』言い出しまして」(苦笑)。(こいつは弟子入りを頼みに来ているのか、そうじゃないのかの、どっちなんだ)みたいな状況になったりしまして(苦笑)。まぁ、そんなこんなで、入門は決まりました。あっという間の2か月間でした。
― 歌武蔵師匠の教えで一番心に残っている言葉は?
「上手いと言われて喜ぶな。面白いと言われて喜べ」ですね。厳しい師匠です。
― 厳しいと言えば、何度か破門されてるそうですが。
2~3回あります。原因は遅刻ですね。5分でも遅刻は遅刻ですので。毎回毎回遅刻5分位なんですよ。基本的に師匠の家には、約束の5分前に必ず着いていろということなんです。(歌武蔵師匠は)憧れの海上自衛隊同様(※前述)、時間にすごく厳しいんです。海上自衛隊では船員が1分でも遅れようものなら一生出世できないんだそうです。
で、どういうわけか、そういうこと(しくじり)って続くんんですよね。当時は、一週間のうちに3回位遅刻しちゃって、そうすると一ヶ月位、口を利いてもらえません。その時3回連続遅刻したときに破門になりました。師匠からは「(破門を解きたければ)一緒に頭下げてくれる人を探して来い!」と言われました。あとは「目に見える形で反省しろ」と。
夜11時半のことですよ(苦笑)。で、翌日朝8時には来いと。その間に目に見える形で反省しろ、一緒に頭を下げてくれる人を探して来いと言われても(苦笑)。目に見える形で反省しろというのは、=坊主。床屋やってませんよ。一緒に頭下げてくれる人って言ったって、こんな時間ですよ。
― 難題ですね
なので、中野のドン・キホーテに行ってバリカン買って頭を丸めました。あとは、一緒に謝ってくれる人。誰がいいかな?と思ったんですけど、うちの師匠がよく行く寿司屋があるんですね。そこの大将を連れてったんです(笑)。寿司屋の大将。受け狙いではなく、真面目に連れて行きました。私、芸人になってまだ1年にもなっていなかったので、(そういう時は)芸人仲間を連れて行くべきものだ、ってことがわからなかったんですよ。
― なんだか、おもしろくなってきました(笑)
時間も時間だし、近所だし、朝早くから起きてるだろうから、寿司屋の大将のところにお願いに行きまして「これこれ、こういう理由で、こうなので、明日一緒に来てもらえませんか?」って。大将の方は「俺でいいの?いいなら行くけど」。「いいんです。お願いします」。
で翌朝7時に頭丸めた私が、寿司屋の大将を連れて、うちの師匠の前に(笑)。さすがに驚いてましたね、師匠。「なんで親方が来るんだ!」って。大将は、うちの師匠より年上ですから。私としては、偶然一番の良いカードを先に使った感じですよね。それが破門の一回目。
― (笑)。2回目は?
2回目の破門の話。そんときは志ん橋師匠(※)の御宅に三編稽古(※)をしてもらいに伺う日でした。三編稽古っていっても、ちゃんと覚えて許しが出るまで10数回通うんですけど。そのうちの何回目かの時に遅刻しました。志ん橋師匠には許していただいたんですが、うちの師匠はそれで済まなくて・・・。夜席が終わって師匠の家に戻ったら「(噺家には)向いていないから辞めなさい」と。
この時は、師匠んちの近くに住んでる橘家圓十郎師匠(※当時は二つ目で亀蔵)のところに行って助けを求めました。うちの師匠と圓十郎兄さんは仲が良いので。でも、1回目の寿司屋の大将の方が効果ありましたね(苦笑)。「(一緒に頭下げても)駄目だ!こいつは、いつも遅刻するから」といって許してくれませんでした。結局その後、私は逆切れして「もういいですよ!辞めますよ!」って。今となっては笑っちゃいますけどね。10日間くらい失踪しました。その10日間の記憶はありません(笑)。最終的に、また戻りまして、今こうしているという。圓十郎兄さんのおかげです。兄さんが私の失踪中、うちの師匠に頭下げて「兄さん、とにかく連れ戻しますから!協会事務局には辞めましたって言わないでおいてください。僕がなんとかしますから」って。
※ 古今亭志ん橋:六代目しんきょう。三代目古今亭志ん朝師匠の弟子。古今亭志ん輔師匠の兄弟子。スキンヘッドがトレードマーク。
※ 三遍稽古:さんべんげいこ。教えてくれる師匠は、習いに来た噺家・弟子の前で三日間にわたって同じ落語を三遍演ってくれる。メモはせず、ひたすら、聞いて見て覚えるという稽古の(オールド?)スタイル。
※ 橘家圓十郎:体重1??キロ。漫画・映画、特にガンダムが白飯より大好き。
― 見込みがあったからこそ、引き留めるために言ってくれたんでしょうね
どうでしょうね。
― だって、辞めてもいい人だったらほったらかしですよ。
いやいやいや。見込とかそういうのじゃないと思いますよ。
― 前座時代は住み込みではなかったんですか?
通いでした。朝、師匠の家に行って掃除して寄席行って、寄席が終わったらまた師匠の家へ行って終電までいるって感じでしたね。基本的には10時出社(笑)です。遅刻すると、出社時間はどんどん早くなっていきます(笑)。
― 前座名「歌ぶと」。名前の由来を教えてください。
“勝って兜の尾を締めよ”。の兜からですね。うちの師匠の頭の中では漢字三文字で「歌武人(かぶと)」だったらしいですけど、いくつかの候補の中から圓歌が決めました。で、前座名「歌ぶと」。平仮名の方が可愛げがあって覚えてもらいやすいだろうと。
― 「歌太郎」になったのは?
歌太郎は私で四代目なんですよ。先代の歌太郎は真打になって、歌に雀と書いて歌雀という名前だったんです。三遊亭歌雀師匠。歌雀師匠は、うちの師匠のすぐ上の兄弟子です。糖尿病で両足を切断した上、人工透析の最中に亡くなったという、いろいろエピソードに事欠かない人でして、その人が使っていた名前(歌太郎)なので誰も使いたがらない。でも響きはいいので、私自身としては(この名前、いいな)とは思っていたんです。
二つ目に上がる前に酒を呑んでたら師匠が「お前の名前だけどな、漢字にするから」「漢字にするからってなんですか?」「かぶとを漢字にするんだよ」「どういうことですか?」「歌に武蔵の武に人だ」って。私もお酒呑ませてもらっていたんで「師匠、私イヤです」「なんでイヤなんだ?じゃあ何がいいんだ」「歌太郎がいいです」「ああ、歌太郎ね。じゃあ師匠に聴いてみるよ」って。で最終的に圓歌に許可をもらって。それで歌太郎をもらいました。
― 真打に昇進したら、名前をどうしたいとか、お気持ちはあるんですか?
あるんですけど、まだわからないですね。個人的に伝えようと思ってるのはあるんですけど。まだちょっとわかんないです。
チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。歌太郎さんの素顔。そして本音。
三遊亭歌太郎 独占インタビュー(2)