アコーディオンとの出会い
― いま寄席でお使いになっているアコーディオンは?
(いま寄席で使っている)あの赤いアコーディオンは年代物で、とても軽くていい音で素敵な一品です。昔のアコーディオンは良い木(木目が詰まっていて硬い木)で作られていて良い音が鳴るんですよ。いまでも大切に使っています。
― 壊れたりしないのですか?
アコーディオンはとても壊れやすい楽器なんです。アコーディオンはハーモニカと同じく、風を吹き込むことによって金属の板(リード)が震え、その風切り音が耳に届くって楽器(※)なんですね。そのリードが壊れやすい。夏の暑さでリードを支えている松脂が溶けたりとか。ベイアコ(※)さんというアコーディオンのお店にお世話になっていて、すぐ修理してくださるので助かっています。
※ ハーモニカは息をいれることによって、アコーディオンは蛇腹を押引することによって風を送り音を出します。そのため、音の強弱や表情は蛇腹で表現します。蛇腹の操作がアコーディオンの肝。実際、アコーディオンは約8,500点(4/5列笛、41鍵/120ベースの場合)の部品から成り立っています。ちなみに一般的な自家用車は5,000点、同じ楽器でも部品数が多いといわれているピアノが約8,000点と、比較してもアコーディオンの部品数がいかに多いか分かります。(株式会社トンボ楽器製作所様ホームページより引用)
https://www.tombo-m.co.jp/tfc_online/acclife/001/acclife_qa.html
※ TOKYOベイアコ:修理・調律はもちろん、アコーディオンの普及のための諸作業~どのようなアコーディオンを買えばいいか、の相談、クリニックもやっているお店
ー プロデビューはいつなのですか?
よくわかっていません。でも、ここ(今回のインタビュー場所。「横浜すきずき」)で初めて「流しをやってくれない?」って依頼されてやったときが、初の仕事(投げ銭をいただいた)ってことになるかな。2006年ごろのことかな…
ここは和風な感じじゃないですか。なので「着物を着たら、この場所に合うかな?」と思って着てみたんです。それまではライブハウスなどでやっていたでしょう。そのとき気づいたんです。流しだったら、ハコ(ライブ会場)を借りなくても、そこに自腹を切る(会場費の支払い)必要もないわけですよ。その上、「よかったよ!」という気持ちと、「がんばってね!」の応援の気持ちが、お客さんから手渡しで直接お金になって返ってくる。このシステムにも感動したんです。とってもうれしくって。ライブハウスより、もっとお客さんとの距離も近いですし。
そしたら、ここの店長さんが「野毛大道芸」の実行委員長だったんです。
― それで「野毛大道芸」へ出演?
そうなんです。で、「野毛大道芸」で演奏していたら、その観客の一人に木村万里(※)さんのお友達がいて、万里さんに「遠峰あこって人、観ておいた方がいいよ」って推薦してくれたんです。で、万里さんが私のライブに来てくれて、「あなたみたいな人、他に居ないから、落語会で唄ってみたらどう?」って誘ってくれたんです。そのときからなんです。落語との関りは。
※ 木村万里(きむら まり):演芸ライブプロデューサー、コラムニスト。「渦産業」などの名義で主に落語会を含む演芸関連のライブを企画・開催。(株)夢空間の落語会の制作にも携わる。春風亭一之輔師匠を大学生時代にすでに見出していた人でもある。
― 先日の鈴本演芸場(春風亭一之輔師匠主任興行)の出番のときも、お客さんの心を掴んで、盛り上がっていました
一之輔師匠のお客様が良いお客様だったのもあると思います。すごくやりやすかったです。
赤いアコーディオンとのお別れ (Xのポストより 2024年7月23日)
この半年、小さい赤アコを寄席用に引っ張り出して、左手Dボタンがへっこんで戻らなくなるクセをだましだまし使っておりましたが、今朝お稽古中にもう戻らなくなっちゃった…でも本番中じゃなくてよかったよ~とてもお気に入りで長い間がんばってくれたからな~!ありがとう!久しぶりの白アコは重い! https://x.com/acotomine/status/1815763797162004692
新たな赤いアコーディオンとの出会い (Xのポストより 2024年8月7日)
アコーディオンを頂いてしまいました!赤くて小さくて前のと同じ大きさです わ~、とてもうれしい~♪人と人の出会いと同じで楽器との出会いもご縁ですよね だいじに使っていきたいです これはドイツ製かな?「おいおいのぶ子さん」を唄わねば!しばしお稽古して9月には使えるようになりたいです♪ https://x.com/acotomine/status/1821167008073052461
― 唄を創作することについて
言葉と音楽が勝手につながる感覚です。湧き上がってくる感じ。でも、どなたかに詩を書いていただいて、例えば、モロ(師岡)さんとか(立川)小春志師匠とか。その詩に曲をつけるというのもあります。お二人の歌詞が素晴らしくて、そういうときはすらすらメロディが出てきます。
不思議だったのは、コロナの頃。自粛で人前に出て唄えない。そんな時期は夢の中でよく唄ってました。それも知らない唄。聴いたこともない唄。なので枕元にマイクを置いておいて、起きるとすぐそのメロディを録音して忘れないようにしていました。人前で唄えないことに、強いストレスを感じていたんだと思います。
― そのときの曲は?
「ヨルトカゲ」という曲です。
― お持ちの曲数は、どれくらいになるのでしょうか?
正確には数えてないですが、200~300曲はあると思います。
― 流し(※)をなさっていた時代は
なんでもできるタイプではないので、流しのときは民謡が主でした。ここ(横浜すきずき)でしか流しはしていなかったので、お客さんはだいたい私のことを知っていて民謡をリクエストしてくれる場合が多いです。もし、知らない曲・弾けない曲の場合は「来週までに覚えてきますので、また来てください」と言っていました。例えば
お客様 鹿児島出身なので、なにか鹿児島の民謡唄って!
あこさん なにがいいですか?
お客様 「鹿児島おはら節」かな
あこさん すみません。知らないので来週までに覚えてきますから、来週必ず来てください
こんな感じです。そうすると自然と弾ける曲が増えていくんですよね。
※ 流し(ながし):、ギター、アコーディオンなどの楽器を持って酒場などを回り、客のリクエストに応えて客の歌の伴奏をしたり、ときには客のリクエストなどに答えて自らの歌を歌う人のこと
― 300曲の中で、もっとも思い入れのある曲と言うのは?
やはり「野毛山節」ですね。
スタートは流し。流れ流れて、初の海外。公演5か月
― 海外公演に行くようになったきっかけは?
それも、ここ(横浜すきずき)がきっかけなんです。ちょうど10年前のことです。その日、流しに来たら店長さんが、「奥の座敷に大勢のフランス人のお客さんが来ている。誰も日本語がわからないんだけど、ちょっと、あこちゃん盛り上げてよ」とお願いされたんです。
で、「オー・シャンゼリゼ」を唄ってみたんです。そしたら、全員で大合唱になっちゃって。「言葉も通じないのに、ここまでひとつになれるんだ!」って、すごく感動しちゃって。(私の衣装である)着物にも喜んでくださって、たくさん投げ銭いただきました(笑)。
その後、「パリは路上ミュージシャンが多いし、どこで演奏してもOKなんだよ」とも教わって。行ってみようかなと。
― 思い切った決断ですね
アコーディオンと着物と、足に着ける鈴だけもってパリに行ってみたんです。知り合いもいなかったですし、誰に「おいでよ」って呼ばれたわけでもなく、ただ行ってみようというだけで行ってみました。困ったら「オー・シャンゼリゼ」を唄っておけばなんとかなるだろうと(笑)。1週間の渡仏、それが10年前の6月のことです。
そのとき知り合った人に「次来たら、うちの店で唄ってよ」とか、ミュージシャンの人に「今度は一緒にやろうよ」とか、たくさん声をかけていただいて、とってもうれしくなっちゃって。で、その年の10月に再びパリに行きました。
そしたら、流しで唄っていた店で「テレビに出ないか?」って声をかけていただいて、向こうのテレビに出演したりとか、どんどん輪が広がっていったんです。
― すごいですね
向こう(ヨーロッパ)ってフェス(ティバル)がたくさんあるんですね。「うちのフェスに出なよ」とか、またまたたくさん誘っていただいて。
― すごいすごい!!
色々な国のフェスの主催者とかが、新しいミュージシャンを常に探しているんですよ。その流れで、リトアニアやクロアチア、フィンランド、バルセロナなどのフェスに出ました。呼ばれたから行った、ただそれだけです。なので、自発的に「行こう!」って決めて行ったのはパリだけですね。あとは、そこからの流れ。一番長かったときで、1年のうち5ヶ月くらいは海外で唄っていましたね。
― 言葉の壁は?
挨拶とか簡単なフランス語は勉強して行きましたけど、大切だったのは笑顔ですね。どの国でも共通して言えることは、「こんにちは」「ありがとう」「美味しかったです」の3つの言葉を覚えておくと良いということ。この3つ(の言葉)と、笑顔で乗り切りました。
困ったときは困ったときで、切羽詰まった状況で何かを伝えようとすると、なんとなく通じるものです。私、人と旅が好きなんだと思います。
日本人は表情が薄い(わかりにくい)から、大げさなくらいがちょうどいいとも教わりました。フランスでは特に、道を歩いていて知らない人と目が合ったらニコって笑わないとだめなんですよ。おそらく、地続きで色々な国と隣り合わせで、色々な国の、色々な人種の人たちがたくさんいます。そんな状況の中で「私は、怪しい者じゃないですよ。安心してください」の合図が笑顔なんだろうなと感じました。お店に入店するときにも「来たよ!」みたいな感じで元気よく明るく挨拶しないと不審がられる感じはあります。
向こうの人は本当によく声をかけて来ますね。「何を持ってるの?重たそうだね」とか。日本人だからじゃなくて、誰にでも。日本だと大阪が、そんな感じですよね。
いったん、壁を越えて仲間とみなしてくれると、めちゃくちゃフレンドリーに接してくれますね。
あと、もう、どこでもライブ。電車の中でもやります。やりました。電車の中、いいですよ。お客さんの逃げ場がないから(笑)。車両を渡り歩いて、集金していく(木戸銭をもらう)スタイルで(笑)。
チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。あこさんの本音、素顔。そして落語観。
遠峰あこ 独占インタビュー(2)