遠峰あこ

<はじめに>

7年程前のこと。当時まだ二ツ目さんだった小辰さん(現 十代目 入船亭扇橋師匠)との二人会で、初めてあこさんの唄とアコーディオンを聴きました。

ご本人がとても楽しそうにアコーディオンを奏で唄ってらっしゃる姿を観ているうちに、あっという間にあこさんの世界に引き込まれていました。日本の唄には日本の、外国の唄には外国の風が吹いてくるようでした。こんな素敵な体験をしたことはありませんでした。

くがらくのお客様にも聴いて、あこさんの世界に触れて欲しい。 長い間あたためてきた夢が叶います。(くがらく編集部)

遠峰あこ

デジタル全盛期

― あこさんは、もともと、テレビ番組のCG関係のお仕事をなさっていたそうですが・・・

私、もともとCG関係、アニメーション制作のクリエイターをしていました。横浜のTVK(テレビ神奈川)で。自分のパソコンを持っていたので、フリーランスで。10年くらい。そのあと、引き抜かれて、テレビ東京などでもCG制作のお仕事をさせていただいたりしていました。私のホームページ(遠峰あこ オフィシャルホームページ「あこや」)にある「ボクかっぱ巻き」の映像は、私が作ったんですよ。

― いまのあこさん(『アコーディオン弾き語りというスタイル』からは、なかなかイメージできない感じです

いまは、当時のようなCG制作ツールはもっていないので、~私は当時、AMIGA(アミーガ※)を使って映像制作をしていました~、いまのパソコンにあるアプリだけで作りました。すごく久しぶりに映像制作をしたのですが、映像を作るときの脳と、音楽をやるときの脳が、あまりに違い過ぎることに愕然としました。どっちも楽しいんですが、両方いっぺんにこなすのは大変だなと実感しました。

※ AMIGA(アミーガ):1985年にコモドールより発売された伝説のパーソナルコンピューター。当時の最先端マシン。熱狂的なファンが多い。1992年にフジテレビで放送された子ども番組「ウゴウゴルーガ」は、AMIGAを使う若いクリエイターたちが活躍した画期的な番組だった。

当時は、CG制作と同時にバンド活動も行っていました。仕事も音楽もパソコンで行っていました。テクノバンドで、ボーカルをやったり、VJ(ビジュアルジョッキー。DJが楽曲の編集をライブで行うように、映像の編集をライブで行い、映像表現・演出を行うクリエイター)をやったり。 『ウゴウゴルーガ』を手掛けた青木さん(青木俊直さん。アニメーター)とは一緒に『おはスタ』を作っていましたし、きつねさん(故・秋元きつねさん。CG作家)とは、プレステのゲームを作ったり、一緒にライブやったりしていました。

オリジナルソング「ボクかっぱ巻き」秘話

歌詞は、モロ師岡(※)さんです。何か一緒に創ろうよ!ってなって、その後、モロさんから小説みたいなものが送られてきたんです。かっぱ巻きが大冒険をするような小説。

モロさんとは 10 年くらい前に知り合いました。カメラマンのスズキマサミ(※)さんという方がプロデュースしてくださって、「モロあこ」というライブをやってました。 あこはる。(というユニット。遠峰あこ+立川こはる(※)。こはるさんは現在の立川小春志師匠)も、スズキさんがプロデュースしてくださったんです。 あこはる。では小春志師匠が落語にまつわる歌詞を書いて、わたしが曲をつけてふたりで唄い踊ります。CDも2枚も出しました!

※ モロ師岡(もろ もろおか):存在感のある役柄を演じ続ける俳優、コメディアン。映画『キッズ・リターン』では、東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞。俳優業とは別に、コント、一人芝居も。

※ スズキマサミ:カメラマン。幅広いジャンルの舞台写真を撮る。立川流の写真や舞台やお祭、いろんな芸能など。

※ 立川小春志(たてかわ こしゅんじ):立川談春の弟子。2023年に真打に昇進し、こはるから小春志に改名。立川談春の弟子で初めて真打に昇進した。

― なぜ方向転換を?

当時は、「おはスタ(テレビ東京系列6局で放送されている平日早朝の子供向けバラエティ番組)」などをやっていました。朝も夜もなく、もうどっぷりテレビ業界・CG業界で働いていたんですね。レギュラー番組なので毎週締め切りがありましたから、肉体的にも精神的にもぎりぎりの状態で働いていました。それに加えて、イレギュラーな制作依頼も来るわけです。たくさん稼いでも、最新機材に消えていくし、しんどいからと断ると次から仕事がオファーされなくなるのでは?という怖さもあり、追い詰められているような状況でした。

そんな状況を変えたくて、なにか気分転換になることはないのかな?と思って、民謡やアコーディオンをはじめてみた。そんな感じです。

― それまでのデジタルバリバリから、真逆のアンプラグド(電力を使用しない楽器で演奏される音楽)な世界ですね。その中でもなぜ、アコーディオンに?

テクノバンド時代、当時は今みたいにプロジェクター(大きな画面)がないので、パソコン、モニター数台、キーボードなど数多くの機材を全部自分たちで搬入してステージ上に配置して映像を映してVJをしていました。量は多いし、一個一個は重いし、いつもひと苦労でした。 そんなライブをしていたときにひとりのアコーディオンを弾く女性アーティストさんとご一緒したんですよ。

そのアコーディオン弾きの方は、1 人でアコーディオンだけ持ってステージに上がって、颯爽と演奏していたんですね。私たちと違って、なんのコンセント(電源)も使わずに、です。それを観て「何て身軽なんだ!これぞ音楽!」って感動したんですね。私たちがいろいろな機材を鎧みたいにまとってパフォーマンスしている一方で、電気も使わずにライブをやってしまうなんてすごくかっこいい!と思えたんです。その憧れから独学で。ただただ、やってみたいなという気持ちだけで。気分転換のために。

― それまで鍵盤楽器のご経験は?

ありません。ピアノに触ったことも、アコーディオンが好きだったとかもなしです。ただただ、電気を必要としないで音を出す楽器をやってみたかった、ってだけの理由です。

民謡との出会い

― 民謡については?

デジタル仕事全盛期のときに、実家に帰ったら父がたまたま「野毛大道芸(※)」のビデオを観ていたんです。自分で録った野毛大道芸の様子の家庭用ビデオを。そこに映っていたのが現代民謡の伊藤多喜雄(※)さんだったんです。「野毛山節(※)」を大勢で唄ってたんですよ。

それを観て、高校生のころに野毛大道芸に行って多喜雄さんのライブを観たことを思い出しました。青空の下の野毛本通りでお客さんはみんな地面に座って笑顔で手拍子して多喜雄さんの民謡を聴きました。子どもからおじいちゃんたちまで。それがとても印象的で。それも(アコーディオンと同じく)いま自分がやってるテクノ音楽とは全然違うなぁって思ったんです。

※ 野毛大道芸:1986年から毎年開催されている横浜市中区の野毛町で行われている大規模な大道芸イベント。 愛知県の大須大道町人祭、静岡県の大道芸ワールドカップin静岡と並び、日本三大大道芸の1つ。昭和61年の春に地元商店主たちの呼びかけで野毛地区の活性化を目指した町おこしとして始まった

※ 伊藤多喜雄(いとうたきお):日本を代表する民謡歌手。「3年B組金八先生」で知られた南中ソーラン「TAKiOのソーラン節」の生みの親。

※ 野毛山節:のげやまぶし。神奈川県横浜市に伝わる民謡。「ノーエ」という囃子言葉が特徴で、野毛節、ノーエ節、サイサイ節などとも呼ばれる。文久年間の横浜開港とともに誕生しといわれている。全国各地に伝わる「ノーエ節(農兵節:のうへいぶし)」の元祖とする説もある。

― 民謡も独学で?

民謡は当時住んでいた近所に教室があったので習いました。唄い方も、声の出し方も、これまで私が知っていた音楽とは違っていて新鮮でした。民謡で唄われる曲自体も、それぞれが、その土地土地に根づいたもので、そこに住む人が自分たちの唄だ!と思えるものばかりで、そういう点もとても良いなと感じました。

アコーディオンに興味を持ったのと、民謡に興味を持って習い始めたのが同時期だったので、それならアコーディオン弾きながら民謡を唄ってみようと。たんなる思い付きです。

― アコーディオンは、どうやって学んだのですか?当時はYoutubeみたいなものもなかったでしょうし。

そうですね。完全に耳コピ(楽曲を聴き取ってそのとおりに再現すること)ですね。

― すごいですね

CGも同じでしたしね。当時は、AMIGAも日本語の説明書もマニュアルも何もない中で、一つひとつトライアンドエラーで覚えていきました。アコーディオンも同じでした。自分がやりたいことがあるから、出したい音があるから、それを出すには「どうしたらいいのかな?」「野毛山節を弾くにはどうすれば?」って、一つひとつ自分で解析しながら、弾きながら自分のものにしていきました。なので我流です。

アコーディオンって一般的には“唄う方のための伴奏”ということが多いと思うんですが、私の場合、“唄いながら弾く”という自分なりのやり方を見つけて行って、いまのスタイルがあります。


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。あこさんの本音、素顔。そして落語観。

遠峰あこ 独占インタビュー(1)

遠峰あこ 独占インタビュー(2)

遠峰あこ 独占インタビュー(3)