落語の入り口、になりたい

― 将来、お弟子さんを取る可能性もありますもんね

真打になったら、その可能性はありますね

― 羽光さんにも、いまお弟子さんいらっしゃいますしね

羽太郎(※)ですね。羽太郎の顔、見たことありますか?

― いや、まだないです

やっぱなんかね、羽光兄に似てるんですよ。だから、やっぱり似たような人が来るのかな弟子には、と思ったんです。

羽光兄に三島の会に呼んでもらったとき、「兄さん、弟子が来るらしいですね。人に聞きました。仁馬が良さそうな人や言うてましたよ」って。そしたら羽光兄が「そんなことない。僕と同じで暗い、行き場所のない男や」って言ったんです。そこまで自分を卑下せんでええやろって(笑)。でもほんまに会ってみたら、ほんまに目の決まった、ほりの深い、羽光兄みたいな顔をしたやつでした(笑)

※ 笑福亭羽太郎(はねたろう):笑福亭羽光師匠の弟子(羽光一門)。前座

― 「天下一落語会」(※)にもお出になりますね

そうですね、呼んでもらいました。

― まだやっぱりこう、あれですか。公推協杯(※)ときも、おっしゃっていましたけど。肩書き(受賞経歴)が欲しいってことを

肩書きはそうですね。欲しいですね。確かに実際欲しいです。NHK(新人落語大賞)か、花形演芸大賞(※)が欲しいです。

※ 天下一落語会:面白い二ツ目を決める大会。主催:天下一落語会。

※ 公推協杯 全国若手落語家選手権:主催:共同通信社 助成:公益推進協会 協力:東京かわら版、関西演芸推進協議会の落語コンクール。東西の若手落語家が話芸を競う。予選会は4つ。そのうちの予選会1をトップで通過したのが茶光さん

※ 花形演芸大賞:独立行政法人日本芸術文化振興会が運営する国立演芸場で発表される賞

― 将来どんな落語家になりたいとお考えですか?

僕は「ウケたい」っていうのだけで、やってるんです。漫才師をやってたから余計に思うんですけど。

例えば漫才師で地方とか行くじゃないですか。で、ウケなかったとします。そうしたら、「今日来た漫才師の子たち、面白くなかったね」って多分言われると思うんですよ。

でも、落語家がどっか地方に行って、同じようにウケなかったとします。そうしたら、その場合は「落語って面白くないんだね」ってなるはずなんです。「なんだ・・・落語って面白くないのか」って言われると思うんですよ。「今日の漫才師」じゃなくて。「落語自体、おもんない」になってしまうと思うんですよ。

それぐらい、世の中の人は落語を聞いていません。そして、人(落語家、話し手)によって落語って、こんなに違うんだっていうところまで(理解が)到達してないんですよ。その瞬間に、「落語あり/なし」になっちゃう。

初めて聞いた落語の重要性は、初めて落語を聞かせる落語家の重要性は、とっても大きいと思っています。

最初に聞いた落語が面白かったら、もうちょっと聞いてみよう、となるわけじゃないですか。その入り口に僕はなりたい。そこで突き放して(落語、おもんな/落語、二度と聞きたくない)っていうようなレベルにはいたくないんです。

僕が一番いいって言うんがもちろん一番うれしいですけど、そうやなしに、僕を通して、「別の人の落語も聞いてみたいな」って思えるようにしたい。とにかく、自分で終わり(もう落語はいいや)にしたくないんです。

― こういう風な考え、そこまで茶光さんに言わせるようなったきっかけというか

僕は、お笑い芸人として結局売れなかったっていう追い目があります。負けた過去、黒星ですね。そこを(鶴光)師匠と落語に拾っていただいた・救っていただいた・決して門前払いされなかったという“感謝”があるんですよ。しかし、師匠への感謝・御恩返しはできるものではないので、落語界には恩返ししたいなと。

落語界って狭いというか、まだ広がりきってはいないですから。(助けてもらった)落語、おもろいよ、っていうのを世間に伝えたい気持ちが強いです。もちろん、根底には「おもろいと思われる落語家になりたい」があるんですけどね。 だから、僕の中では、「落語で門前払いにしたくない」と言う思いと、「僕が作ったものを面白いと思わせたい」というのがイコールなんです。

茶(光)の旨味が凝縮、ゴールデンドロップ

― 独演会「ゴールデンドロップ2025」が昨年2024年の集大成。では、2026年に向けては?

「ゴールデンドロップ」は、年明けと決めているんですよ。通常、集大成だったら12月とかだと思うんですけど、12月に何かをするとその日そこで「もう終わった感」が出るんですよね。さらに、年をまたぐと、なんか自分の中でも終わった感出るし、お客さん的にも終わった感出るんじゃないかなと思って、だから1月にして、「ここから始まりますよ」みたいな。そんな気持ちで新たなスタートが切れるから1月にしてるんです。ですから2025年の集大成、25年までの集大成を、この次のにかけると決めているんですけど・・・そこがちょっと、今年はまだなぁって言う感じです。

― ここからの計画などは

真打になるまでの間にもうちょっと、やっぱり独演会が結局メインだと思うので、独演会を大きくしていかないといけないなと思っているんです。でも、ちょっと会をたくさんやりすぎてて、明確に「僕の独演会ってこれなんです!」ってものが、ちょっと打ち出せてないなと感じています。

「ゴールデンドロップ」はやるんですけど、あれではなくて、普通の落語会・独演会をもっと大きくしていきたいなと思っています。独演会の規模をもう少し大きくする。徐々にステップアップして、付随して何か掴めていくかな、変わっていくかなという感じです。

― 真打昇進。順当にいくと何年後ですか?

あと5年後くらいですね。2019年に2つ目になったので。おそらく2029年ですけど。その辺ですね。

笑福亭茶光

― 「くがらく」においでになるお客様に向けて、メッセージをお願いいたします

初の上方落語ということで、江戸とはまた違った雰囲気、賑やかな高座を楽しんでもらおうと思います。初の上方なので、あまり苦手意識だな、苦手だなと思われないように、わかりやすく楽しくやらせていただこうと思います。

インタビューを終えて

まったくの勝手かつ個人的な想像なのですが。茶光さんは、いつか小説を書き下ろすのではないかと思いました。あと、人情噺も。それくらい頭の中では常に「アイデアとストーリーを生み出す気、満々」脳が回転している。

そう感じる理由の一つが、好きな噺家のひとりに(柳家)喬太郎師匠を挙げたこと。

喬太郎師匠と言えば、古典が抜群、改作古典で爆笑、新作も爆笑。その上、秀逸感動の創作人情噺(「ハワイの雪」等々)ありという天下無双のオールマイティっぷり。おまけに声の仕事(「ドランク塚地のふらっと立ち食いそば」ナレーション)も俳優業(映画「スプリング、ハズ、カム」等)も。昇太師匠も同様に縦横無尽で幅広いご活躍。そんな全方位な才能、潜在能力を茶光さんにも感じました。

急須やお茶ポットからお茶を注ぎ切る際、最後の1滴を「ゴールデンドロップ」と呼びます。この最後の1滴は、お茶の旨味が凝縮されていて、味わいや香りを際立たせるのだそうです。

茶光さん自身の独自の世界観や新作落語、そして古典の大ネタまで、まるで上質なお茶の最後の一滴のように、濃密で贅沢な落語体験ができる ― それが年に一度の集大成落語会「ゴールデンドロップ」の名前に込められた意味だと思います。 一年の集大成とまでは言えずとも、次のくがらくは11月。そのエッセンスの何滴分かは、濃密で贅沢な時間が味わえるに違いありません。

(インタビュー&撮影:2025年04月吉日)

取材・構成・文:三浦琢揚
株式会社ミウラ・リ・デザイン


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。小ふねさんの本音、素顔。そして落語観。

笑福亭茶光 独占インタビュー(1)

笑福亭茶光 独占インタビュー(2)

笑福亭茶光 独占インタビュー(3)

笑福亭茶光 独占インタビュー(4)

笑福亭茶光 独占インタビュー(5)