<はじめに>

初めて一刀さんの落語を拝見したのは、囀りやさん(さえずりやさん。残念ながら、なくなってしまった落語スペース。目白駅)でした。一朝師匠一門の前座さんの会で、お若いのに枯れた雰囲気を醸し出していて、滲み出るフラ(芸人さん特有の何ともいえぬおかしみ・愛嬌)がある方だなと思いました。

その頃より、早くも7年が経ちましたが、一刀さんの落語を聴く度に思うことは、毎回、色と感触が違うということです。一度としてつるんとした感想がありません。小気味良い江戸弁には落語愛が溢れています。これからが益々益々楽しみな噺家さんのお一人です。(くがらく編集部)

春風一刀

おかえりなさい。一刀さん

― お久しぶりです。2017年の冬にインタビューさせていただきました。それ以来。くがらく再登板、いかがでしょうか。

前回(年前)のインタビューを久しぶりに読み返してみたんですけど、恥ずかしいですね。直視できなかったです。こういう時代もあったんだなという(苦笑)。変わった部分と、変わっていない部分とがあります。いやぁ、早いものですね。

― 当時は二つ目に上がりたてのときでしたが、それから7年経ちました。この7年間で、変わったことは?

大きな出来事で言うと、その間、コロナがありました。空白じゃないですけど、普通とは違う3~4年間がありました。お客さんが寄席に戻ってきたのは、ここ最近なので。噺家だけじゃなくて世界中がそうだったわけですけど。

― この間、(古典落語だけではなく)新作(落語)も手掛けるようになりましたが。きっかけは?

三席やる予定の勉強会がありました。ところが、前日になって二席しかできてなくて、どうしようもないって状況になったんですね。僕は日頃から「最後の晩餐って、何にしようかな?」と考えていたんです。僕の最後の晩餐、候補は三つ。ラーメン、唐揚げ、カレー。それをなんとなく考えていたら、上下(かみしも※)を勝手に切っていたんですよ。で、「これにしよう」と。夜通し考えて、明け方までかけて形にして、当日高座にかけたら、(三席の中で)急遽作ったその新作が一番評判が良かったという。それが僕の初の新作『最後の晩餐』です。

※ 上下(かみしも):一人で複数の人物を表現するのに、右を向いたり左を向いたりして台詞を喋ったり仕草をしたりすること

それから1年後ですね。(林家)彦いち(※)師匠に声をかけていただいて「シブラク」の「しゃべっちゃいなよ」に出ないかと誘われたんです。「しゃべっちゃいなよ」というのは、シブラクの中でも、創作らくごネタおろしの会なんですね。噂で「一刀が新作やるらしい」と知ったみたいで。それなら、と。

※ 林家彦いち(はやしや ひこいち):初代林家木久蔵(現 木久扇)一門。北とぴあ落語大賞やNHK新人演芸大賞落語部門大賞を受賞。主に新作落語を得意演目とし、春風亭昇太柳家喬太郎三遊亭白鳥と「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げするなど

お笑い(特にコント)が好きでして、よくバカリズムさんとか、シソンヌさんのコント動画を見ていたんですが、「コントを落語(という型)にはめてみたらおもしろいかも。キャラクターを創って、それに話をさせたら、おもしろくなるかも」と思い立ち、作ったのが2作目の『存在感』という根多です。

春風一刀(はるかぜ いっとう)-存在感
「渋谷らくご」2021年10月公演
http://eurolive.jp/shibuya-rakugo/preview-review/20211012/

― 「地味(じみ)くん」(という地味な性格の男性キャラ。地味だが優しく、誰も傷つけない)が登場する根多ですね?

そうです。決勝戦にまでいくことができましたし、彦いち師匠にも評価していただいたりして、少し自信になりました。いくつか作りましたけど今残っているのは5席ですかね。古典とは違ったおもしろさがありますね。新作は自分で作っていますから、途中でセリフが飛んだり絶句してもバレないですし(笑)

地味に、地味くんは人気がありまして。「また地味くんに会いたいです」とか「シリーズ化してください」という声もいただくことがあります。その結果、『存在感』はパート3まであります。『存在感』パート2は、沖縄旅行編です。

あと、我々落語協会の二ツ目は「二ツ目勉強会」という池袋演芸場での恒例の会があります。5人出るんですけど、この会の特徴は理事の師匠方が数名、客席後方でお客様と同様、噺を聞いてくれて終演後いろいろと講評してくれる、というものなんです。それに去年、僕は初めて新作で出たんです。そしたら思いのほかウケまして。反省会では宝井琴調(たからい きんちょう※)先生がものすごく褒めてくださったんです。うれしいことに、もうべた褒めで。

※ 宝井琴調(たからい きんちょう):四代目宝井琴調。宝井琴調は講談師の名跡。柔らかな語り口は落語愛好家にもファンが多く、年末に「暮れの鈴本 琴調六夜」として上野鈴本演芸場の主任を務める。落語定席で講釈師が主任を務めるのは異例のこと。浅田次郎、宮部みゆき、重松清など作家の許諾を受け、現代小説を講談にし口演したこともある。

― へー

それとは別に琴調先生が「眼が悪いの?」って聞いてきたんです。何かと言うと、「古典はいいけど、新作のときは眼鏡をして上がる方がいいかもよ」と。「目が眠そうに見えるから」と。

そしたら隣にいらした夢月亭清麿(むげつてい きよまろ※)師匠も「そうだよ。(三遊亭)円丈(※)さんだって眼鏡かけて高座に上がってたんだから」って言ってくださって。それ以来、新作のときは高座で眼鏡をかけるようになりました。

― 一之輔師匠、一蔵師匠も新作を高座でかけたことはあると思いますけど、一朝一門で、ここまで純粋なといいますか、一刀さんくらい新作(改作・疑古典※ではなく)を積極的に手掛けている方って、他にいないのではないですか?

そうかもしれないですね。うちの一門は基本やらないと思いますね。落語会の企画として一之輔兄さんとか一蔵兄さんが創ったことはあるかと思うんですけど。僕はちょっとおかしいんですよね(笑)

※ 夢月亭清麿(むげつてい きよまろ):先代柳家つばめに入門。つばめ死去により柳家小さん門下に。新作落語を得意とする。故・円丈師匠の盟友。

※ 三遊亭円丈(さんゆうていえんじょう):昭和の落語界を代表する名人の一人と称される6代目三遊亭圓生の弟子であると同時に、奇想天外な世界観の新作落語(「実験落語」とも評される)を数多く生み出し、現在の新作落語の使い手、トップランナーたち(例えば春風亭昇太師・柳家喬太郎師ら)に多大な影響を与えた不世出、唯一無二の噺家。

※ 疑古典(ぎこてん):江戸・明治時代を舞台にして古典落語を擬した新作落語。「落語作家は食えるんですか;擬古典落語創作論」(井上新五郎正隆 ・著)より

― 一朝(※)師匠に新作のことで何か言われたりとかは?

一切ないですね。基本、放任なので。ただ、僕からは「こういう会に出て、決勝まで行きました」とか報告は必ずします。喜んでは下さいますね。それと、僕は新作はやっていますけど純然たる新作派ではないので。師匠の古典落語に惹かれて入門していますし。基本、古典派です。自分のスペック(能力)的に、古典も新作もといういいバランスでの両立が中々できないんですね。脳の切り分けが柔軟にいかないというか。古典やってるときは古典ばっかり、新作のときは新作どっぷり、みたいな。もうちょっと上手く使い分けていけたらなあと思います。

あと、僕は割と決め打ちで高座に臨むほうで。「今日はこれをやるぞ」って決めて臨むというか。古典の場合だと、寄席では「つく・つくない(※)」があるので、決めて行ってもその通りにできないケースもあるんです。でも、新作だとほぼ確実、絶対にできる(笑)。それが新作のいいところですね。便利です。

寄席だと師匠の興行に顔付け(※)されることが多いわけですが、師匠目当てのお客様ですから、当然、みなさん古典好きな方ばかり。古典を期待しておいでになっている。そんな状況で僕が高座で新作をかけると「は?」とポカーンとされることはあります。

※ 春風亭一朝(いっちょう):5代目春風亭柳朝の総領弟子。キレのある口演で「江戸っ子」を演じたら右に出るものなし。歌舞伎や落語での囃子を担当する程の笛の名手。2020年3月 第70回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)受賞。春風亭一之輔春風亭一蔵の師匠でもある

※ (噺が)つく・つかない:寄席で噺家は根多帳を見て、同じ噺はもちろんのこと、同類の噺も避けて自分の演じる噺を決めなければなりません。(寄席や落語会で)同じような系統の噺をすることを「噺がつく」といいます。

※ 顔付け(かおつけ・かおづけ):寄席の番組を決めること。出演者として選ばれること。

何度目かの「落語ブーム」

― ご自身の中で「いま何度目かの落語ブームが来ている」とのことですが、そこについて詳しく教えてください。

「粗忽長屋」と「天災」がきっかけです。

まず、「粗忽長屋(※)」。とにかくいろいろな方の「粗忽長屋」を聞きまくりました。なかでも(古今亭)志ん生師匠の「粗忽長屋」がいかつかったですね(ものすごくおもしろい、完成度が高いのような意味)。あとは、(三遊亭)青森(※)の「粗忽長屋」。「へぇ~、こういうアプローチもあるのか」と唸ってしまいました。「死神」って落語も下げがひとそれぞれじゃないですか。同じように「粗忽長屋」でもいろいろなスタイルというかパターンがあるのだなと思いました。自由なんだな、と。

そして「天災(※)」。うちの師匠(春風亭一朝)に教わった噺です。うちの師匠は大師匠(五代目 春風亭柳朝 ※)に教わっている噺なんですが、大師匠の「天災」はいきなり紅羅坊名丸(べにらぼう なまる)の部分から入ったりして、「落語っておもしれぇ」って気分になっています。

いまは、一之輔兄さんの芝居(取材当時の主任興行)に入れて(顔付けして)もらっているんですけど、袖で聴いていて勉強になります。

色んな師匠方出るんですけど、同じネタでも何か全然違うみたいな。ウケどころ?ウケるポイントが違うんですよね。

あと、寄席によっても違いますね。上野(鈴本)でやったのと、池袋(演芸場)でやったのとでウケ方が違ったりもしますしね。改めて(落語って)奥が深いなぁと感じているところです。やりがいがありますね。

※ 古今亭志ん生(ここんていしんしょう):昭和を代表する落語家、五代目古今亭志ん生。

※ 三遊亭青森(さんゆうていあおもり):三遊亭白鳥一門。2023年 渋谷らくご大賞 おもしろい二つ目賞受賞。

※ 五代目 春風亭柳朝(しゅんぷうてい りゅうちょう):七代目 立川談志三代目 古今亭志ん朝五代目 三遊亭圓楽とともに「落語若手四天王」と呼ばれた昭和の名人。

※ 粗忽長屋(そこつながや):浅草観音詣でに来た八五郎がが、身元不明の行き倒れが出た現場に出くわす。役人たちは通行人らに死体を見せ、知り合いを探していた。死体の顔を見た八五郎だが、なんと…。

※ 天災(てんさい):隠居の家に「女房のとおふくろのと、離縁状を二本書いてくれ」と飛び込んできた短気な八五郎。紅羅坊名丸(べにらぼうなまる)という偉い心学(しんがく)の先生がいるからそこへ話を聞いて精神修行をしてこいと言われ…。

― 一刀さんの古典は、自分なりのくすぐりを入れたりとか、あまりしない印象ですが

古典は、教わった通りにやりたい人間です。あんまりいじりたくないですね。

例えば「さんだらぼっち(※)」とか、いまの若い人たちにはわからない、聞いたことがない単語が出てきてもそのままやりたい派です。説明した方がいいんでしょうけど、その反面、説明すると野暮にならないかなと思ったりもして。

※ さんだらぼっち:桟俵法師。米俵(こめだわら)の両側につける藁で編んだふたのこと。

― 「五十歩百歩」で聴いた一刀さんの「天災」。とっても面白かったです。それで、(2回目のくがらく)出演をオファーしようと思いました。

ありがとうございます。うれしいです。

― 一刀さんの『間』も好きなんです。それと、文字にはしにくいですけど、「(な)におぅ?」といった類の、鼻濁音の江戸っ子口調。鼻から抜けるような言い方が絶妙に心地よいなと感じています。誰にでもできるものではないので。

※ 五十歩百歩:小田急線読売ランド前駅『棕櫚亭』で定期開催されている落語会。


チラシ掲載の文章は、インタビュー記録からの抜粋です。全文は、ここでしか読めません。ぜひ、読んで感じて知ってください。一刀さんの本音、素顔。そして落語観。

春風一刀 独占インタビュー(1)

春風一刀 独占インタビュー(2)